朝布団から出られなかった日の午後、フレッシュネスのポテトがしみた
1.自分の状態、名前はまだない。
休日の朝、起きれなかった。
「起きれなかった」にも色々ある。単純に寝坊して起きたい時間に起きれなかった。これも「起きれなかった」だ。うつの症状を説明するときに使われる「身体がなまりのように重くて布団から動けない」。これも「起きれなかった」だ。
僕の「起きれなかった」は、どうにか言葉にすると「意志に実態がともなわない」といえばいいだろうか。「起きるぞ!」という気持ちは胸の中でメラメラわいている。でも「せーの!」と意気込んで踏ん張っても身体が起き上がってこない。心と身体がいつもより離れている感じだ。
だからといってなまりのように身体が重いわけではない。布団の中でもそもそできるし、スマホもみようと思えばみれる。水分補給もできラジオもかけれる。でも起き上がって布団から出られないのだ。
思えば昨夜から予兆はあった。読書をしていても気が散ってどんどん文章が読めなくなる。動画を見るなんてもってのほかだ。人からの連絡を返すのもおっくうになる。当然こちらから連絡をとる気もおきない。何かする気も起きないからいそいそと布団に入り眠りにつく。だいだいこういう夜の翌朝は良くて気分が晴れず、悪くて起きれない。
病院に行った方がいいと言ってくれる人がいるかもしれない。ちょっと先回りして答えると通院はとっくにしている。もっともっとひどい状態のときもあった。診断もついている。
でも、普段は特に生活に支障がない今の方が自分の状態を表現するのが難しく感じる。今の自分が「起きれない」と言っても、ちょっとサボりたい・ダラダラしたいと思われてもおかしくないだろう。「そういうとき、あるよね」と。
この自分の感覚をしっくりくる表現でうまく伝えることができない。「調子が悪い」というと動ける感が出ちゃう。「具合が悪い」だと風邪やめまいで寝込む感じがする。でも「体調が悪い」も似たような気がする。そういうわけじゃないんだよな。
「うつ状態」は言いすぎ、というか自分がかつて「うつ状態」と診断されたときはこんなんじゃなかった。ずっとシャワーも浴びれず、玄関のドアを開けようとすると息が苦しくなる。やっと駅までたどり着いても電車の前で足がすくむ。連絡がつかないことを心配した友人から捜索願いを出されそうになった。
自分の状態をうまくラベルにできないだけでなんだがむずむずしてしまう。とはいえ考えてもどうしようもないので起きるのを諦めてラジオを聴くことにする。聴くのは毎週録音している「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」と「Creepy Nutsのオールナイトニッポン」の過去回だ。今日は佐久間さんの方を聴きながらまた寝ることにしよう。
2.コーヒーは日常を取り戻してくれる
腰が痛い。昼前に目が覚めた。昨夜も布団に入るのが早かったし(寝るのが早かったとは言ってない)、今日も昼まで布団の中にいたらそりゃ寝すぎである。腰がつっぱった感じがして痛い。でもどうにか起きれるようにはなった。
腰にシップを張り、昼ごはんを食べることにする。食欲が特別あるわけではない。食べたいものも思いつかない。でも僕には食べなくてはいけない理由がある。お腹がすいてるとなぜか腹痛になりやすいのだ。お腹がすく、腹痛になる、横になる、寝てるから食べれない、お腹が余計すく……と負のループにおちいる。これは防がなくちゃいけない。
食べなくちゃ。でも食欲も食べたいものもなく調子も悪い人間に自炊する気もちは芽生えない。とりあえず手元にあったカップラーメンとクッキーを食べる。味は覚えていない。味がしたのは覚えている。でもただ味がしただけだ。
食後はコーヒーを飲む。最近の僕はもはやコーヒーを飲みたいのかカフェイン中毒なのかよく分からない。でも今のタイミングでコーヒーを飲むと、なんだか日常を少し取り戻せたような気がする。
読書でもしようと思って本を開いたが気が散って読めなかった。本棚に並ぶ本たちを前にして自分が今読みたいものがさっぱりわいてこない。むしろ今読みもしない本がこれほど並んでいることにぞわぞわした感覚と徒労感を覚えてしまう。これはよくない兆候だ。かといってこれ以上横になっていても腰がいたくなるだけ。暗い部屋でぼんやり過ごすのもなんだか気がめいりそうだ。
そのとき、カーテンのすきまから日がさしてきた。
3.フレッシュネスのポテトが明日をひらく
カーテンを開けると外は晴れていた。でも照っているほどではなく心地よさそうな気温だ。
歩いてみようか。今の僕のような状態でも多少動けそうなら日光にあたることもアリな手段らしい。あてもなくぼんやり歩いてみる。それもいいかもしれない。いつもよりはのろのろとしているが着替えて準備はできた。ひげは昼ごはんの後に剃ったから大丈夫。
ふと本棚にあった一冊の本を手に取った。なんだか読めそうな気がしたのだ。カフェか公園で読んでみようか。
選んだ本は、山口祐加、星野概念『自分のために料理を作る』だ。副題には「自炊からはじまる「ケア」の話」とある。僕は誰かにケアされたい。あるいは自分で自分をケアしたいのかもしれない。
外に出ると部屋で感じた陽気と同じようにぽかぽかと暖かかった。とぼとぼ歩くには気持ちがいい。
調子が悪いときの散歩はすれ違う人たちに要注意だ。友人同士、家族連れ、カップル。こういった人々とすれ違うと胸がキュッとなり、酸素がうすくなった気がする。だからできるだけ気持ち足早に遠ざかるようにしている。
でも昔よりはましだ。息が苦しくなり、急に視界が狭くなって真正面以外は真っ暗になる。そんな頃を思い出すと早足で避けれるぐらいならなんとかやっていける。そんな気がした。
僕の足が向かったのはフレッシュネスバーガーだ。とりあえず本が読めそうな気がしてきたので落ち着いて座れる場所に行きたかった。そしてもうひとつ。
「ポテトが食べたい」
無性にそう思った。でもこれは僕にとって不思議な話じゃない。小さなストレスがたまってると感じたとき、普段はお菓子をあまり食べない僕が手をのばすのがポテトチップスだ。僕は「いつもと違う」感覚のとき塩気を求めやすい。もし目の前にスーパーがあったら、フレッシュネスに行かずポテトチップスを買いに行っていたかもしれない。
マクドナルドなどと比べるとフレッシュネスは割高だ。普段は飲み物しか頼まない。でも今日は特別だ。だってポテトが食べたいんだもん。
自家製ジンジャーエールのホットとフライドポテトを頼んだ。何がありがたいって温かいジンジャーエールがあることだ。お腹を冷やさなくていいし、しょうががきいててほっとする。
そしてポテトだ。うまい。塩気がたまらない。確かにお腹はすいてたけど、このポテトはお腹を満たすためだけに食べてるわけじゃないと実感できる。今すぐ食べたかったから食べているのだ。
ポテトをつまみ、ジンジャーエールを飲みながら本を開く。読める。いつもほどサクサク文章は読めないけど、読書の楽しさが味わえる程度には読める。コーヒーだけじゃない。読書も僕にとっては日常を取り戻すツールなのだ。
とぼとぼと人通りを避けて家に帰るとき、なんとかなりそうな気分になった。半日以上は棒にふった。コンサドーレの試合はみれなかった。やるべきこともやりたいことも何ひとつできなかった。劇的に体調がよくなったわけでも、気分が上がったわけでもない。でも明日はなんとか生きていけそう。そんな気がした。今日の気持ちをこうしてnoteに書けたのだからきっと大丈夫だろう。
【本の紹介】山口祐加、星野概念『自分のために料理を作る』
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