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名作詞家の本質は論理と抽象化にあり―延江浩『松本隆 言葉の教室』


1.言葉を使うとは、思考すること

言葉の使い手は、思考の使い手でもある。この本を読んで強く実感した。

作詞家・松本隆は『赤いスイートピー』、『硝子の少年』、『ルビーの指輪』など現在、そしておそらく未来でも燦然と輝く数々の名曲を生み出したている。彼が作詞について語った内容を著者が文章にしたのが本書だ。

使われている言葉はやさしいしマニアックな作詞技術が詰まっているわけではない。松本さんが語っているのは徹底して原理原則の話だ。

彼は小手先のテクニックを次のように断言し、代わりに自分が何をよりどころに作詞してきたかを語っている。

テクニックに頼った瞬間、言葉は浅くなるんです。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p5

でも、ぼく自身、どういう表現をすれば人の心が動くかについて考えたことはあって、それは、潜在意識に届く言葉なんですね。意識には顕在意識と潜在意識とがありますが、テクニックや定型が向かうのは顕在意識のほうで、ここにいくら訴えても感動は生まれない。言葉は潜在意識に届けないと、人の心は動かないんです。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p6

「どうすれば人間の潜在意識に届く表現になるか?」という問いが彼の原理原則なのである。

僕は作詞家を志しているわけではないし、詞を書いたこともない。しかし松本さんが語っている内容は僕はもちろん、あらゆる人に役立つものだ。

人間は考えるときに必ず言葉を使う。言葉がないと考えを頭に浮かべ具現化することができないからだ。作詞のように言葉を研ぎ澄ませる行為は、自然と思考のコツが身につく。繰り返すが言葉を扱うことは思考することだからだ。

印象に残った言葉がある。

人を感動させるには、まず自分の心を動かすこと。そのためには好奇心が欠かせません。
あとは、自分の心がなぜ動いたのかを問い詰める。その答えを見つけてから書く。そうすると、ああそういうことかと、人もわかってくれる。
答えを見つけて書く。そんなところが哲学的な作業かもしれません。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p49

自分の心が動いた際にその理由、つまり論理を突き詰めて考える。その上で表現すると人に伝わるのだ。対して僕が著書を愛読している経営学者の楠木建さんは、こんな話をしている。

「ガツンとくる」「ハッとする」「ズバッとくる」というのは僕なりの論理の面白さの分類だが、読者の方々も自分にとっての面白さをパターン化して、どこに自分のツボがあるのかを考えてみることをおすすめする。多くの人があからさまに面白がることでなくても、読書や勉強に関して、自分で妙に面白いと思ったことが、誰にも一つや二つはあるはずだ。なぜそのことを面白がれるようになったのか。まずはその「論理」を考えてみることだ。

楠木建『戦略読書日記』p267

彼も自分が面白がっていることについて、論理を突き詰めることをすすめている。

作詞家の松本さんと経営学者の楠木さん、一見すると関わりある仕事ではまったくない。しかし松本さんは作詞で、楠木さんは著書などで自らの思考を言葉にして表現する職業だ。その表現の型は「心が動いたときの論理をはっきりさせてから言葉にしていく」と共通している。言葉をたくみに使うためには、思考が洗練されてなくてはいけない。反対に思考が洗練された人は、言葉もたくみに使えるのだ。

2.本物の作詞家は、作詞だけ考えていない

本書ではいくつかの曲についてどんな論理をもって作詞されているか松本さんが解説している。例えば『赤いスイートピー』(松田聖子)はラブソングであるが、彼は「好きよ」という気持ちを歌詞で伝えるためにこう考えていた。

いくら100回「あなたのことが好きです」と繰り返しても、伝わらないものは伝わらない。計算とか、そういうのじゃなくて、気持ちを相手に伝えるために、ディテールを積み上げていくことが必要。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p66

「ディテールを積み上げる」とはどういうことなのか。続いて「切ない」という気持ちをどう表現したかという話に移る。単純に「切ない」と書くのは簡単だ。でもそんな安易な表現に松本隆がすがらない。彼は「時計」を使って「切ない」を表現する。

相手が時計をちらっと見る。それ以上は書かないのがミソ。答えは出さないで、問いかけだけする。あなたは時計をちらっと見たでしょうって、それはどういうつもりなのってことなんだけど。早く帰りたいのか、もう飽きちゃったのか、他に約束があるのか。そういうことを主人公は心配してる。答えまで書いちゃうとダメなわけ。そこまでで止めておくと、みんな似た経験をしてるから伝わる歌になる。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p67

こうして書かれたのが2番のサビ前の「何故 あなたが時計をチラッと見るたび 泣きそうな気分になるの?」である。

ここで松本さんの話は急に音楽から離れる。韓国ドラマの話題に飛ぶのだ。

このテクニックをぼく以外にも使っている人を最近発見しました。韓国ドラマの「賢い医師生活」のイ・ウジョンという脚本家が、それをやってる。ディテールをまわりに積み上げていって、肝心なことを書かない。すべてを伏線にしていくのだけど、どこかでバーンと合わせる。そうすると、とんでもない感動が来る。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p67

他の箇所で松本さんが作詞をする際に影響を受けた人物を挙げている。F1ドライバーのアイルトン・セナだ。

F1ドライバーのアイルトン・セナから大きな影響を受けました。セナって、神の視点というか、上から見てるじゃない。いま、自分が何番手にいて、前に誰がいて、後ろに誰がいるっていうのを、頭のなかで3Dのように見ている。(中略)
彼はね、全部を見ている。だから余裕が生まれる。そういう視点が、ぼくとちょっと共通しているなと思う。(中略)
ぼくも詞を書くとき、上から見ているところがある。「木綿のハンカチーフ」にも「外は白い雪の夜」にも男と女が出てくるけど、心の中でどっちにもなっている。両方バランス良くね。どちらか片一方に寄せるとつまらなくなる。湿っぽすぎてもだめ。パサパサでもだめ。光と陰もバランスだし、男と女もバランス。均衡してないと。

延江浩『松本隆 言葉の教室』p85

韓国ドラマとF1、どちらも作詞とは直接関係があるわけではない。でも松本さんの中では確かにつながっているのだ。僕は「抽象と具体の往復がどんなときもできる人」が知的であることの条件だと思っている。

僕はサッカーが好きだ。自分が会話していて最も楽しいサッカーファンは「サッカーのことを話しながら他のジャンルのことも考えている人」である。こういう人は抽象と具体の往復ができるので、思わぬ思考のつながりを会話の端々で見せてくれる。一つの話題を話していると、脳内でもその話題しか考えられない人はかなり多い。だからこそ抽象と具体の往復をちゃんとできる人は貴重であり、話していて非常に楽しい。

松本さんのように自らの生業で頂点の景色を見た人ほど、他ジャンルと自分との共通点を見つけたり参考にしているイメージがある。それも高い抽象度で理解している。

松本隆作詞の曲になじみがある人もそうでない人も同じくらい楽しむことができる本である。なじみがなかった僕はようやく『君は天然色』(大滝詠一)の素晴らしさを知った。本当に名曲である。

3.参考資料

◎ドラマ『アイドル誕生』の感想
終盤に主人公の阿久悠が、後続の作詞家として秋元康さんとともに松本さんの名前を挙げる。僕が作詞家・松本隆により興味をもったきっかけ。

◎重松清『星をつくった男』の書評
阿久悠の評伝。比較するとおもしろそう。

◎赤いスイートピー(松田聖子)
いわずもがな名曲。宮本浩次(エレファントカシマシ)のカバーverも非常にいい。

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