安保闘争に入り乱れる学生、左翼、右翼、財界、そして日本代表GK―佐野眞一『唐牛伝』
1.カオスな人脈うずまく60年安保闘争
他人の生き様を評価することがいかに難しいことか。唐牛健太郎(かろうじけんたろう)とその周りの人々が歩んだ人生を追うと強く感じる。
舞台は60年安保闘争。岸信介内閣のもとで新たに結ばれようとしていた日米安全保障条約に対して、政治家のみならず一般市民たちも大きく巻き込んだ反対運動が起きた。
デモ隊が国会議事堂の周囲などを取り囲み、機動隊との大きな衝突まで発展した。その中心にあった学生運動の組織がブント(全学連主流派)で、長である中央執行委員長だった人物が本書の主人公の唐牛健太郎だ。
北海道在住ながらわざわざ口説かれ上京し学生運動のトップに立つ。国会前の装甲車の上で学生たちを鼓舞し警官隊にダイブしていく。僕を含め多くの人は実感がわかないかもしれないが、まぎれもなく彼はカリスマでありスターだった。
しかし安保条約は結ばれ、岸内閣は総辞職し闘争は終結する。運動に参加した多くの者は我に帰ったかのように社会へ戻っていく。そんな中、唐牛は社会の縁を漂流するように歩み続けて47歳の若さで生涯を終えた。彼の「カリスマでスターだったとき」だけではなく、「色あせてしまった後半生」にも詳しく目を向けて生涯を追っている。
彼と共にブントで活動していた人々も登場する。スタンフォード大学などで活躍した経済学者の青木昌彦、保守派の評論家として名をはせた西部邁、地域医療に後半生をささげた精神科医の島成郎、哲学者・文芸評論家の柄谷行人などだ。彼らのように左翼運動とはまったく違う世界で生き直した人もいれば、中核派最高幹部の北小路敏、現議長の清水丈夫のようにずっと運動に関わり続けていた人もいる。
現代は社会の分断が進んでいると言われている。分断をどのように捉えるかは人によりけりだが、過去と比較して体制と反体制といった正反対の勢力が交わることが難しくなった気がする。互いが互いに「あいつらは物分かりが悪い」とさげすみ嘲笑しあう。もちろん過去にそのようなことがなかったわけではない。だが今は「交わらない」ことが主流であり正しいスタンスの取り方と評価されやすくなっているように感じる。
本書でブントの人々が歩んだ人生や関わった人々を知ると、世界は簡単に勢力図を作れない混沌としたものだと分かる。
最たる例は右翼の大物でCIAの協力者でもあった田中清玄からブントが支援を受けていた話だ。唐牛は安保闘争後も田中の世話になっている。
他にも財界の官房長官と称されていた日本精工社長の今里広記もブントとのパイプを持っていた。ブントのメンバーで、後に今里の世話で日本精工に勤務した篠原浩一郎は今里がブントと繋がった理由を次のように推測している。
彼らには彼らなりに互いに利用し合う理由や繋がりを持つ理由があったのだろう。この世界が考えや立場が違うから交われないという純粋な世界ではないということだ。
2.唐牛たちをハメた(?)名ゴールキーパー
本書には驚くほど多様なジャンルの人々が登場する。ページをめくるたびに「えっ、この本でこんな名前見るのか!?」と何度も思った。
僕が驚いた名前の中には、一人のサッカー日本代表GKがいた。彼の名前は村岡博人。唐牛たちブントメンバーの運命をある意味変えた人物の一人だ。
村岡は1954年に代表選出され、日本サッカー史を語るのに外せないある試合に出場した。1954年スイスW杯の出場国を決めるためのアジア予選として開かれた「最初の日韓戦」である。当時の韓国は日本代表の入国を認めず、ホーム&アウェイがともに東京開催という異例の事態になった。
そんな歴史的な試合に出場した彼は、後に共同通信社などでジャーナリストとして活躍する。彼が関わった報道として本書で語られるのがTBSラジオの番組『ゆがんだ青春』だ。
『ゆがんだ青春』とは、TBSラジオの吉永春子が唐牛らブントメンバーとのインタビューを隠し録りし、田中清玄からの資金援助などの関係を暴露した番組である。これにより右翼の大物と繋がっていたことが明らかになったブントメンバーの評判と信用が地に落ちた一大スクープだ。
この取材で吉永に協力した人物として村岡の名前が出てくる。ブントの森田実は東大の先輩で共同通信社の知人から会ってほしいと言われ村岡に会った。ここに同席していたのが吉永である。1時間ほどのインタビューを受けたが、もちろん事前の承諾なく隠し録りされていた。この証言も『ゆがんだ青春』に活用されたのは言うまでもない。
村岡は社会党の機関紙に多く寄稿をしており、土井たか子ともかなり近い関係だったようだ。週刊誌には村岡と土井の恋人関係疑惑が報じられたこともある。社会党側からするとブントは嫌う対象であった。だから村岡は唐牛たちを「ハメた」のだと著者は示唆している。
ただし、どんなに取り繕おうとも著者が唐牛たちブントのメンバーに思い入れと肩入れが非常に強いことは本書を読めばよく分かる。そういう立場から見た村岡博人だと考えてほしい。
安保闘争とサッカー、関係なさそうなものが細い糸でつながる。こういう体験こそサッカー好き兼読書好きにとって「たまらない」瞬間だ。
3.「ねちっこく」なければ佐野眞一ではない
本書は著者が現代社会や現代人を嘆く文章が冒頭から続く。あからさまにまで60年代前半を象徴する人物を描くことで「それに比べて今の日本人は……」と示そうとしている。その書き方に学生運動に憧憬を見出す気質を読み取って敬遠する人もいるだろう。だがそれはそれでいい。
何が一番気になるかというと、著者の現代に対する嘆きが本当に「ねちっこい」ことだ。特別な表現を使っているわけではない。ここまでこってりねちねちと現代を当てこすることができるのは才能だ。ほんの数ページにも関わらず、そのねちっこい文章を読んでいる時間は永遠に感じられる。
しかし、この「ねちっこさ」こそノンフィクション作家・佐野眞一の強みと弱みであり本質なのだ。
『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』にて彼は幾度となく「耳が勃起」という表現を使い続けた。多分相当気に入ったのだろう。表現そのものがまずねちっとしているし、それを多用することが更なるねちっこさを漂わせる。当時の編集者は「『耳の勃起』は一回で充分ですよ」とでも止めることができなかったのだろうか。
彼の著作を読むと「ねちっこさ」が取材で活かされていることが理解できる。本書もその執念深いねちっこさで、唐牛の生い立ちや後半生を相当なところまで深堀りしている。『枢密院議長の日記』では難解な『倉富勇三郎日記』を読み解き、彼の人生と時代を豊かにあぶり出した。これもねちっこさゆえの成果だ。
もっとも彼は数々の盗用・剽窃(ひょうせつ)行為も明らかになっている。2012年に週刊朝日で出した橋下徹に関する記事は「どうにか彼を失墜させよう」というねちっこさたっぷりの文章と内容が問題視され、最終的には橋下への謝罪と和解金の支払いに至った。ノンフィクション作家としての腕をそう素直に評価することが難しい側面がある。
それを差し引いても本書は読みごたえがある。大事なのは鵜呑みにすることでも、佐野眞一だからと全否定することでもない。適度な疑いを持って読み進めてほしい一冊である。
4.参考資料
◎片山正彦『ここに記者あり!』
元サッカー日本代表GKでジャーナリストの村岡博人の評伝。村岡視点での唐牛たちのスクープ問題が書かれている。
◎佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』
戦後沖縄の裏面史が凝縮されている。大学時代に読んだ僕はこっそり「耳勃起ノンフィクション」とニックネームをつけた。
◎佐野眞一『枢密院議長の日記』
佐野がとにかく倉富勇三郎という人物と彼の日記を面白がっていることがひしひしと伝わる。あまりねちっこさを感じず、佐野さんの著作で僕は一番好き。