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食べてもらうのがいちばん早い

 仏教のアレのお二人が、いわゆる「悟りの境地」等についてめちゃくちゃ質問されるという話を動画でしていて、これはたしかに「あるある」だなあと思うなどした。

 私もそういう質問はずいぶんされたし、もちろん自分がしたことだってある。仏教が何よりも「転迷開悟」の宗教である以上、それとの実践的な関わりを持ってみたいと思っている人たちが、このテーマについて関心を抱かずにいられるほうがむしろおかしいとすら言えるかもしれない。

 ただ、私自身はそうした(瞑想において一時的に経験される「境地」としての)「悟り」体験といったものについて、現在はあまり多くを語りたいとは思っていない。もちろん、昨日の記事でそうしたように、瞑想にまつわる個々のトピックについて気になったことを随時に語るようなことはするが、大きなテーマとしての「悟り」に関する総論的なことを、とくに「体験」の細かい点にまで立ち入って話そうという気にはどうもなれない、ということである。

 いま私がそういうふうに思っているのは、既にこうしたテーマについて必要なこと(公開に適していて公益性があること)は十分に語ってあるから、ということが当然ながら大きい。逆に言えば、「悟り」や瞑想上の諸経験について既にいま述べてある以上のことを語ろうとすれば、その内容は公開に適してもいなければ公益性もないものになってしまいそうであるという危惧を、私は抱いているということだ。

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