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2019年2月の記事一覧
しばらくじっと見ていること
岡潔さんの話、続き。
昨日のエントリで述べたように、岡さんのテクストというのは全体として読んでゆくと「すごさ」と「ヤバさ」が渾然一体となっているものなので、その扱いにはわりと慎重な注意が必要となる。もちろん、わかりやすい「すごさ」の部分だけを抽出して語るというのも一つの(そして当然の)選択肢だが、そうは言っても彼の思想の「すごさ」はその「ヤバさ」と不可分のものであるような気もするし、場合によ
すみれをただすみれとして
昨日、一昨日と岡潔さんの「ヤバすごさ」について書いてきたわけだけれども、そんな岡さんの著作がここ数年のあいだに様々な形で次々と復刊されているということは、やはりそれなりの数の愛読者が現代にもいるということなのだろう。ただ、彼のテクストが現代日本の新しい読者たちにどのように受容されているのかということについては、このところずっと東南アジアにいるせいもあって、私にはよくわからない。素朴かつ率直な感想
もっとみる「ハマりやすい」人たち
明らかに危うい組織や宗教にホイホイ入ってしまう人の心理というのは(自分があまりそういうタイプではないだけに)昔から気になっていたのだが、幸か不幸か宗教関係の事案に接する機会は多い環境なので、それにまつわる当事者たちの人間模様を見聞きするうちに、なんとなく個人的に得心できたことはいくつかある。
もっとみる「第三の耳」とコンテンツ
ウェブ上で行われる、プロの話し手ではない人たちによるライブ放送、とくに対談や鼎談など、複数の人間によるトークをコンテンツとして提供するタイプのそれを聴くと、「この人たちには『第三の耳』があるな/ないな」といったことを、しばしば考えることがある。もちろん、無料放送であれば好きに話せばよいのだが、聴くほうの自由な個人的意見として言うならば、この「第三の耳」がある人たちの放送は面白いし、そうでない人た
もっとみる利口な人は、上手に流れてゆけばいい
数日前に、研究に「世間を持ち込まない」という岡潔さんの態度について述べた上で、この noteもしばらくはそれでやっていきたいと書いたばかりだが、noteと同時にツイッターも再開してしまったので、そのTLを眺めたり、ときどきツイートしてしまったりすると、あっという間に心が「世間」モードになってしまい、どこでもそういうことを書きたくなってしまう。「世間」というのは、どんな形であれ他者と関わっていれば
もっとみる『自由への旅』の別レシピ
ウ・ジョーティカ『自由への旅』は新潮社より2016年に刊行された翻訳書で、ウィパッサナーというテーラワーダ仏教の瞑想法を、しばしばパーリ語のテクストを引用しながらガチ解説するというなかなかニッチな著作でありながら、ありがたいことに日本の読者の方々からは広汎な支持をいただき、現在まで版を重ねている。
かつて私は、本書を「自分の知るかぎり世界最高の仏教書」と形容したことがあるが、その評価はもちろ
雑な「入り口」についての話
久しぶりに、キリスト教の方々とがっつりトーク。いつも言うように、これからの日本ではわりと一神教が人気を博することになるのではないかと私は思っているのだが、それはそれとして、その「入り口」はけっこう問題になるだろう、みたいな話。
もっとみるできれば思い出すために
どうも世間という乾燥機にかけられすぎたせいか心に潤いがなくなってきてしまったので、文学やら哲学の本やらを集中的に読む。そうすると、まるで蛇口をひねったかのように心に水分が戻ってきて、「ああ、やはり私のいるべき場所はここなのだな」と、いつものことながら思ってしまう。
もっとみる「よりよくなろう」と思うこと
昨日の世間の話とも関わることかも知れないが、最近はどうも「ひねくれたもの」が駄目になって、「よりよくなろう」という基本的な態度をはっきりと衒いなく出しているものが好きになった。もちろん、後者のような態度がしばしば「意識高い」と揶揄されていることは知っているが、まさにそういう文脈に配慮するために、「よくなろうなんて思ってません」と、ひねくれて見せることに割かれているリソースが、バカバカしく感じられ
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