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2019年2月分の通常記事まとめ

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限定公開&有料化された、2019年2月の通常エントリをまとめたマガジン。当月公開のツイキャス過去録画の視聴パスも入ったお得なセットです。公開録画の内容については、月初のエントリを… もっと読む
2019年2月の通常エントリをまとめてあります。当月の通常エントリが全文読める上、ツイキャス過去録… もっと詳しく
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記事一覧

岡さんのヤバみ

 ちょっと必要があって、岡潔さんの文章を久しぶりにまとめて読み返してみたのだけど、発表された時系列順に読んでいくと、岡さんの思想と表現がどんどんヤバい方向に先鋭化していくのが手に取るようにわかって、これはなかなかすさまじい読書体験だった。

 岡さんは1960年に文化勲章を受賞した2年後に、毎日新聞紙上で『春宵十話』を連載し、それが1963年に単行本化されてベストセラーになって以後、精力的に著書を

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しばらくじっと見ていること

しばらくじっと見ていること

 岡潔さんの話、続き。

 昨日のエントリで述べたように、岡さんのテクストというのは全体として読んでゆくと「すごさ」と「ヤバさ」が渾然一体となっているものなので、その扱いにはわりと慎重な注意が必要となる。もちろん、わかりやすい「すごさ」の部分だけを抽出して語るというのも一つの(そして当然の)選択肢だが、そうは言っても彼の思想の「すごさ」はその「ヤバさ」と不可分のものであるような気もするし、場合によ

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すみれをただすみれとして

すみれをただすみれとして

 昨日、一昨日と岡潔さんの「ヤバすごさ」について書いてきたわけだけれども、そんな岡さんの著作がここ数年のあいだに様々な形で次々と復刊されているということは、やはりそれなりの数の愛読者が現代にもいるということなのだろう。ただ、彼のテクストが現代日本の新しい読者たちにどのように受容されているのかということについては、このところずっと東南アジアにいるせいもあって、私にはよくわからない。素朴かつ率直な感想

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情緒と清浄

情緒と清浄

 文化に関する appreciationと appropriationにまつわる論争を見かけて、それについては意見がないわけでもないので何か書こうかと思ったのだが、すぐに思い直してやめてしまった。昨日のエントリで、研究に「世間を持ち込まない」という岡潔さんの態度について書いたけれども、私もいまのところ、この場では「そういうモード」だからである。

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「ハマりやすい」人たち

「ハマりやすい」人たち

 明らかに危うい組織や宗教にホイホイ入ってしまう人の心理というのは(自分があまりそういうタイプではないだけに)昔から気になっていたのだが、幸か不幸か宗教関係の事案に接する機会は多い環境なので、それにまつわる当事者たちの人間模様を見聞きするうちに、なんとなく個人的に得心できたことはいくつかある。

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紫の火花

紫の火花

 そういえば、岡潔さんについてはもう一つ書いておきたいことがあったのだけど、忘れていた。岡さんが、彼の言う「無明」に対して示した態度についての話である。

 「無明」というのは、岡さんにとっては「自他弁別本能」のことである。自分を先にして他を後にし、とにかく生きようとする盲目的な意志のことだと言ってもよい。こういうものに対して岡さんは総じて否定的だし、とくに晩年の彼はますますその傾向を強めたように

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「第三の耳」とコンテンツ

「第三の耳」とコンテンツ

 ウェブ上で行われる、プロの話し手ではない人たちによるライブ放送、とくに対談や鼎談など、複数の人間によるトークをコンテンツとして提供するタイプのそれを聴くと、「この人たちには『第三の耳』があるな/ないな」といったことを、しばしば考えることがある。もちろん、無料放送であれば好きに話せばよいのだが、聴くほうの自由な個人的意見として言うならば、この「第三の耳」がある人たちの放送は面白いし、そうでない人た

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無自覚な魔女

無自覚な魔女

 『姉ageha』という雑誌の、「おばさんになってるヒマはない」だとか、「もうoo歳だから、という言葉に心が殺されてきた」だとか、そういう内容のコピーを褒め称えつつ、とにかく悪いのは「おじさん」であると主張するツイートが(いつもどおりの)大好評を博しているのを目にしてしまい、これまたいつもどおりの嘆息をしてしまった。そのように、とにかく殴りやすそうな他者を呼び出して呪詛することとセットにしないと、

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利口な人は、上手に流れてゆけばいい

 数日前に、研究に「世間を持ち込まない」という岡潔さんの態度について述べた上で、この noteもしばらくはそれでやっていきたいと書いたばかりだが、noteと同時にツイッターも再開してしまったので、そのTLを眺めたり、ときどきツイートしてしまったりすると、あっという間に心が「世間」モードになってしまい、どこでもそういうことを書きたくなってしまう。「世間」というのは、どんな形であれ他者と関わっていれば

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木曜日にしたい話

木曜日にしたい話

 しばらく前に、とくに死ぬ予定はないのだが、毎朝死ぬことについて考えているという話を書いたのだが、そういうモードで生きているせいもあってか、最近はどうも「本質的な話に達する前の探り合い」とか、「ある特定の話題について議論する体で行われる、人間関係のパワーバランスを調整するためのパフォーマンス」といったものが駄目になった。そういうものにも、それなりの意義と必要性があるという立場から話をすることだって

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『自由への旅』の別レシピ

『自由への旅』の別レシピ

 ウ・ジョーティカ『自由への旅』は新潮社より2016年に刊行された翻訳書で、ウィパッサナーというテーラワーダ仏教の瞑想法を、しばしばパーリ語のテクストを引用しながらガチ解説するというなかなかニッチな著作でありながら、ありがたいことに日本の読者の方々からは広汎な支持をいただき、現在まで版を重ねている。

 かつて私は、本書を「自分の知るかぎり世界最高の仏教書」と形容したことがあるが、その評価はもちろ

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雑な「入り口」についての話

雑な「入り口」についての話

 久しぶりに、キリスト教の方々とがっつりトーク。いつも言うように、これからの日本ではわりと一神教が人気を博することになるのではないかと私は思っているのだが、それはそれとして、その「入り口」はけっこう問題になるだろう、みたいな話。

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できれば思い出すために

できれば思い出すために

 どうも世間という乾燥機にかけられすぎたせいか心に潤いがなくなってきてしまったので、文学やら哲学の本やらを集中的に読む。そうすると、まるで蛇口をひねったかのように心に水分が戻ってきて、「ああ、やはり私のいるべき場所はここなのだな」と、いつものことながら思ってしまう。

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「よりよくなろう」と思うこと

 昨日の世間の話とも関わることかも知れないが、最近はどうも「ひねくれたもの」が駄目になって、「よりよくなろう」という基本的な態度をはっきりと衒いなく出しているものが好きになった。もちろん、後者のような態度がしばしば「意識高い」と揶揄されていることは知っているが、まさにそういう文脈に配慮するために、「よくなろうなんて思ってません」と、ひねくれて見せることに割かれているリソースが、バカバカしく感じられ

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