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情報倫理

これから述べるのはinformation ethicsのことではない。レオポルドの土地倫理に似た概念のことである。私は研究者ではないが、これらのことに関心があって、喩えるならジュール・ヴェルヌのように、技術や知識を十全にはもたないけれども、新味な発想をするのが好きなのだ。

この概念では、情報を司る者はいない。全ての情報は恣意的に利用されもし、ビッグデータ的に近似値としての意味をもつこともあるものとする。

 そこで、不正確な情報を故意かそうでないかにかかわらず、伝えることは倫理にもとる。
 誤った、正しくない情報は、それ自体、有害となり得るので、信用による基準評価を必要とする。情報学的良心に基づいて、この情報の信用性は3(10が正確で、1が誤っている)というように。

AIの「フレーム問題」を考えるとき、情報の優先度や優先順位が課題となっている。それらはつまり、情報に関する指標のことである。

近い将来、情報にはラベルやトークン、そしてウェイト(重み付け)が規則的に、(自然と、無意識に)付随するようになるだろう。AIはそれらの補追によって、人間と同じ認識を共有できるだろうから。

データ分析では、すでにこれらを表すようなものが存在している。機械学習もしかり。相関分析、偽陽性率、評価関数、など。

そうしたものをより平坦にOpen Source Information (OSI)とでも名付けたい。

ある物理量の離散的な数値への変換を量子化というが、量子化する際の公共性・公平性を保つものが、ここで述べる「情報の倫理」だと定義できる。

情報利用権平等主義 情報はボットであれ、ChatGPTであれ、等しく利用することができる。情報を一握りのビッグテック企業が支配し、公表しないのは倫理的に正しくない。

情報の正確さの指標 検索とデータベースからの照合により、その情報が信頼に足るか否かはある程度判断できる。これを基本とし(指標の値は5)、反証の有無(反証の反証など)によって、指標を上下させる。5をゼロに置き換え、正確さが不足する毎にマイナスの値を増加させていく。逆に正確とみなせる場合にはプラスの値を増加させていく、など。

関心の高さ 関心の低い話題は偽情報でも反証されない。誰も困らない(偽)情報は正確さに欠けることが多い。

ファクトチェック 真偽検証。検証済みであるか、検証台に上った情報は少なくとも反証の余地を試みられたとみていい。

情報の照会 検証機関による格付け。情報が正確であることを保証する機関がやがて作られるだろう。

情報の鮮度 古い情報は鮮度が低いものと考えられる。真偽とは無関係。利用頻度からも鮮度の基準を考えることができる。

例えば、量子化されたデータの結論は、以下のように表示されるだろう。

「2073年、生涯未婚で人工的なパートナーと生活を共にし、ベーシックインカム年300万円で、アウトドアスポーツと読書を趣味とする男性の平均寿命の中央値は78歳である」
 信用度:6/10、反証:-2+1、検証:生保アソシエーツNPO、鮮度:4/5

平均寿命というデータは出やすいだろうが、そこに変数として趣味や年収、生活様式が加わると、とたんにそれが確度の高いものであるかが問題となる。とある機関はそれを加工されたビッグデータから導き出したもので、正確さは強いとする。ところが、またある機関はそれを裏付けない理由をやはりビッグデータから見つけたとする。それがトピックとして、ある瞬間はバズっていた、という具合だ。

この手の情報はガチャの確率分布のような手合いだと言える。1.1%で引けるSSレアがあるガチャを10連で20回引く人がいる場合、5人に一人くらいは引けなかったりするものだ。そうした情報に人々はどのような意味をおくべきなのか。それは、リスク判断といったことになる。あるいは、いくつかの手法を比べる際に、どちらがより期待できるか、という風に。これがトロッコ問題であるなら、もっともリスクが低減される可能性を取ったという判断として採用されるだろう。ゆえに情報が倫理的であろうとすることで、公平性や公共性が保たれるということが大切となる。


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