懐かしい原点のおはなし

まずは自分史をざっと紐解いてみます。

私はオタクです。現在はアニメのオタクではないのですが、若い頃からアニメを見て育ちました。今から思うと、1995年がターニングポイントです。当時は草の根BBSがさかんな時代で、自分で描いたイラストを投稿するようになりました。二次創作と呼ばれる作品で、セーラームーンやエヴァンゲリオンがその題材でした。

私の場合、パソコンでイラストを描くという趣味の根っこは、美少女ゲームに由来します。30年程前、秋葉原の電気街の片隅で、小ぶりの辞典くらいの大きさの専用パッケージに入った18禁ゲームが、いかがわしくも販売されていました。まだDVD-ROMも珍しい頃です。日曜日の朝、電車で都心へ出かけ、あたりも暗くなる頃、散々歩き疲れた足で帰ってきてから、その日の収穫物である美少女ゲームのフロッピーディスクをNECのパソコンPC-9801に読み込ませて、眠くなるまで、ようやっとプレイしまくるのです。

エルフの恋愛アドベンチャーゲーム『同級生』には、かなりの衝撃を受けました。パソコンの発色数がわずか16色しかない時代で、解像度も640×400ピクセルしかありません。ピクセルドットをひとつずつ、グラデーションの格子が見えるように塗るためにはコツがあり、それ専用の鮪ペイントというソフトウェアが開発されたことから、絵師とよばれる人種が生まれました。そう、同人誌で人気の職種です。

私も並み居る絵師の一人として、華々しい活躍を夢見ていましたが、それは一回死んで異世界で勇者ができるくらい難しい職業であることは当時も今も変わりありません――pixivを見ればお分かりのように、玉石混交の世界です。衆目を浴びて見事にチャンスをものにできた人たちは、類い希なる努力や根性、そして才能、はてはコネクションを手にした、ほんの一握りの方々にすぎません。私にはとうてい無理な世界です。

初音ミクが誕生した2007~2008年にかけて、また革新が起きました。楽曲のみならず、MikuMikuDanceによって、ポリゴンで造形されたキャラクターモデルが身近になったのです。そして、ツールとしては元来とても高価であった3DCGソフトウェアの世界で、blenderという無償ソフトウェアが発展し、利用されるようになってきました。バージョン2.79が私の触れた初めてのblenderでした。

私が自分の才能らしきものに気が付いたのは、絵師を夢見てから23年も経ってからでした。blenderの頂点押し出しという機能を使えば、誰でも、自分のパソコンの中で、輪郭から立体を作ることができます。ここにきて、美少女ゲームで培ったキャラ萌えの美意識と、アニメを見て育った審美眼が、自分の理想の『二次嫁』を作ることを可能にしてくれたのです。

blenderで美少女――顔立ち、肉体、四肢、頭髪、着衣――を作って、それをMikuMikuDance形式へと出力すれば、魂が吹き込めます。動いてまばたきして、お喋りする動画を作ることができます。天職かも、と感じた瞬間です。

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