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最近noteを見て気になった本

最近noteを見ていて、NF型の人に見て欲しいと言われていた本がありました。
ドストエフスキーの白痴という本なのですが、私学が無いので昔の文豪の本は理解出来ない事が多いんですよね。
でも解説を見た方がそれも踏まえて書いてくださっていて分かりやすくて、実際に読んでみたいと思ったので今回特に気になった「愛情と慈愛」についてnoteに書いてみようと思います。

愛情と慈愛の違いが分からない

これは私も自分で考える事があるなと思ったことなのですが、愛情と慈愛ってどう区別するのか分からないなって改めて思いましたね。
一般的に?は愛情は人や物等色々な物に対して使うことがあります、「愛」という単語が相手の価値を認め大切にするという意味がある。
慈愛とは親からわが子へ、師匠から弟子へ、というような「上から下へ一方的に向けられる愛情」を言うそうです。
そう言うと慈愛が凄く傲慢なイメージになってしまうし、愛情も同じようなニュアンスで用いる事が出来る。日本語、なんなら人間の使う言語全般に言える事ですがこういう概念のような物は扱いや受け取り方が難しいですね。

物凄くシンプルに言うと「ゆくゆくは配偶者になりたいが愛情」「相手を例えばペットを可愛がるように愛するのが慈愛」なのか?とも考えましたが、これも違うようにも思える。
やっぱりここは結論を出すのが難しいです……
私も今付き合っている恋人に向けているつもりの愛情が、実際にはその人は大変な思いをしているからなんとかしてあげたいと思うだけの慈愛やお節介なのか?と時々分からなくなります。
はたから見たら「縁を切るべきだよ!」と言われるような人でも辛い思いをしているから私がこの人を全力で支えなきゃいけないんだという使命感から関わって支えてるのですが、これが友情という名の「愛情」なのか、可哀想に思うから支えたい「慈愛」なのかお節介なのか、区別すべき物なのに区別が出来ない。
つまりはこういう葛藤を白痴の主人公はしていたのかと思うと、自分と似てるなと感じてしまいます。

別のものなはずなのに何故か混同してしまう愛に関する単語ですが、皆さんはどう感じますか。
私は自分の考えを言語化するのが苦手なので今書いた事だけでもかなりできた方なのですが…
また本を実際に購入した際にまた感想も交えてnoteを投稿するつもりです。
今回はこれくらいで終わります。
御清覧ありがとうございます。


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