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言葉は刃物って言うけれど

ポレポレという言葉をご存知だろうか。
スワヒリ語で「ゆっくり」という意味の言葉だ。
おそらく大学生・高校生の中では有名なスワヒリ語であろう。

というのも、カリスマとも呼べる大学受験予備校講師の西きょうじ氏が執筆した参考書のタイトルが「ゆっくり」という意味のスワヒリ語のポレポレに由来しているからだ。(90刷以上のされており、まさに伝説的な書籍だ)

先月のnoteで「言葉って人を切りつける刃だが、その前に自分を切開してから人に切りつける刃だ」というフレーズを使用した。
この『ポレポレ』の著者の西きょうじ氏が自身のYouTubeチャンネルで発した言葉だ。動画を見ればわかるが、非常に含みがあるというか様々な角度で解釈できそうな言い方をしているが(西きょうじ氏も又聞きらしいが)、非常に感銘を受けたフレーズだ。

(↓頭がいい人同士の会話というのをビンビンに感じる動画だ)

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「言葉は刃物」と言う言葉は非常に有名で聞いたことがあると思う。
ところで「刃物」と聞いて、具体的にどんな刃物を想像するだろうか。
大方はカッター、ナイフ、包丁みたいなものを想像するだろう。

「本来とは違う用途で使用され、他者を不当に傷つける」
そんなニュアンスを含んでいるためか、こうしたイメージになりやすい。

しかし私はこの「刃物」はメスのようなものだと想像している。
もちろん他者に向ければ、不当に相手を傷つけてしまう道具の一つだ。
ただそれ以上に、言葉が持つ「人を切りつけるでもある反面、自分の内面を切開する」その作用がメスそのものだなと感じるのだ。
そして言葉が持つ自己切開作用というのはが文字・活字となったとき、また顕著になる。

自分の無知さであったり、表現・語彙の不足による自分の引き出しの無さであったり、思考や考え方のクセであったりと、言葉ー特に文字・活字ーの力で自己の内面の至らなさを手術のように切り開いていかなければならない。
その切開作業で思わぬ「出血」をしてしまうかもしれない。
それは「転向」と揶揄されるような180°考え方を大きく変える必要があるかもしれない。もしくは自分と考えが近いと思って近づいた人たちと袂を分かつ必要があるのかもしれない。
そうした「出血」を伴うかもしれない自己切開を行ってもなお「物申したい、批判したい」と思うのであればそれはすればいい。

「切開」や「出血」という言葉が飛び交っており、少々ギョッとしてしまったかもしれない。
ただ、冒頭部に記載した動画で(発した人は西きょうじ氏とは別の人だが)久米宏氏の例にもあるように、何か言葉で発する・表現するということはそれ以上に素直に受け入れる・吸収することが大事なのだ。
固く殻を閉ざしたままでは受け入れる・吸収することはできないから、言葉(特に文字・活字)の力で「切開」する必要があるし、受け入れる・吸収するには「転向」と揶揄されても仕方がないようなくらい180°考えを改める(その行為は勇気がいるし、「出血」のような痛みがあるかもしれない)必要があるかもしれないということにすぎない。

では実際にはどうだろうか。
「謝ったら死ぬのかwwww」と相手を嘲笑する一方で、自分が指摘されたら「イチャモン/クソリプをつけられた」と被害者ぶって一滴の出血も許さないよう固い殻で自分を守り、まさに「謝ったら死ぬのかwwww」という言葉がブーメランになって突き刺さっている状態の人がいる。
かと思えば普段は自分から主張をすることはないが、嫌いな奴が何か主張していたら引用で嘲笑していたり、バレないようにスクショで小馬鹿にしていたりと自己切開することなく徒に「刃物」を投げつけてるのが現実だ。
おおよそ素直という言葉からはだいぶかけ離れている。

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YouTubeをはじめとする動画コンテンツは非常に充実してきている。
TikTokのようなショート動画も非常に充実してきており、質より量の消費をノルマのようにこなさなければならなくなってきている。
Audibleのようにながら作業できるような音声コンテンツも増えてきた。

文明の進化が急速に進んでいる一方で、コンテンツの細分化もされてきている。政治系も多チャンネル化を極めていき、視聴者の取り合いで精一杯なのが現状だろう。

急速な文明の進化とコンテンツの細分化の掛け算によって、人の処理能力を大幅に超える量の情報をシャワーのように浴びることとなった。
そうした結果、自己の内面にまで落とし込む(血肉に変える)ことができず、噛まず飲み込まずひたすら食べ物を頬に詰め込んでは吐き出すような、非常に質の悪いアウトプットをする人が散見されるようになった。

おまけにコンテンツの細分化に伴い既存のファンの取り合いということになってしまった結果、煽り・怒りなどを使って繋ぎ止めるといったあまり褒められない状態になってしまった。
怒りは貧しい人の娯楽という言葉があるが、金銭では測れない「貧しさ」を隠しきれなくなってしまった。

そんな今だからこそ「ポレポレ」なのだ。

言葉(特に文字・活字)の力で「切開」して素直に受け入れる・吸収する準備をしたあと、噛み締めるようにゆっくり自分の中に落とし込んでいく。

慌ただしくノルマのように情報を過剰摂取してしまう現在だからこそ必要なのかもしれない。

だから私は本を読む。

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