多様性について
昨日は今期始めのクラスがあった。
新元号発表で興奮しきった頭を何とか抱えてバスに乗り、授業を受ける。
今回の教授たちとはうまくやれそうだなと思いながら、学期始めの説明を受け、宿題を確認しながら家路につく。
今期は夜のクラスがあるので帰る頃はまだ少し暗いのだけど、この時間に家路につくのは久しぶりで気分が舞い上がっていた。
アメリカの夜は怖い。私も他の街を旅するときは絶対に夜は出歩かない。
だけど私のいる街は(特に私が住んでいるあたりは)治安がいいので、相当遅くならない限りホストファミリーには何も言われない。
夜道を歩きながら、今日受けたクラスを思う。
今期のクラスには「アメリカの多様性」というクラスがあって、アメリカの文化・民族的多様性とその歴史について学ぶ。
一番最初の授業では、この大学に入ってからお馴染みの"人種"についてのビデオを見た。この話題がお馴染みなのは、私が過去に人類学関連のクラスばかり取っていたからである(人類学のクラスでは絶対に扱う話題)。
私たちの遺伝子はそう変わらないこと。日本語で品種(血統)と呼ばれるカテゴリーは人間内では存在しないこと。同じ文化圏の二人よりも、違う文化圏の二人の方が遺伝子が多様であること。
そういう話を聞く。
私はもう何回めかの内容になるので、時々挟まる新しい知識や思いついたことを簡単にメモに取りながら、考え事に耽る。
そして、ふと考えた。
人の性格傾向などは確実に文化によってばらつきがある。
運動能力やリズム感なども表面だけを見れば確かに傾向があるけれど、それは本当に遺伝子なのか。
それは環境や食生活のせいだったりするのだろうか。
授業が終わり、帰宅のためのバスに乗っている間も、帰ってきて夕ご飯を食べている間も(昨晩はクラムチャウダーだった)、ベッドに戻り文章を読んでいる間も、ずっと考えていた。頭から離れなかった。
調べればよかったのだけど、昨日は意識がすでに酩酊としていて、とてもじゃないけど論文なんぞ読める状態じゃなかった(それでも文章は読む)。
共感性も運動能力も音楽の能力も、先天性の影響が強い側面はある。
もちろん生まれてからすぐの環境も影響があり、共感性の話題でよく取り上げられるミラーニューロンなんかは生後12ヶ月ほどで機能し始める。
そういえば、去年ネパールに行った時に現地パートナーの人の家に赤ちゃんが生まれていたので遊びに行かせてもらったことある。
その時にふと気になってミラーニューロンの動きを軽く調べてたのだけど、生後6ヶ月の子は確かに完璧ではないような気がした。視察だったから、本当のところはわからないけれど。
もちろん、まだわかっていないことも多いが、ミラーニューロンは大人との関わりの中で育つものなのではないかという科学者も多い。
また文化も遺伝子の保存に大いに関わってくるので、文化の傾向がそのまま遺伝子の傾向になることもあり得る。
だけど、人間はそこまで多様ではないし、一つの文化的グループの中にはそれ以外のグループとの比較よりもより多様であることがわかっている。
私たちの性格や能力は環境が決めているのか遺伝子が決めているのか。
それは卵が先か鶏が先かのように複雑な問題ではあるものの、恐らく生まれた時点では人はそこまで多様ではない。
環境が多様だからこそ、人は多様になるのだ。
でもまぁ、生まれてすぐの環境は決められないし、変えることも難しい。
そして環境が変えられるようになった頃には、人の能力というものはある程度作られているものである。
そうであれば、「人は能力の壁を越えられる」というのは野暮なことなのかもしれない。
もちろん、人は努力によってある程度まで能力を高めることができる種族なので努力の重要性に反論しているわけではなく、ただ得意不得意は成熟してしまった体で変えるのは難しいのだろうと思う。
だけど一つ希望があるとすれば、人の好みも幼少期の環境が大きく関わっているので、得意なことは大抵好む傾向にあるということなのだろう。
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