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共感性と多様性について

遅ばせながら、Weekly Ochiaiの「多様性をアップデートせよ」の回を視聴した。
ゲストの高橋祥子の主張も落合さんの主張も「まあ、そうだよなあ」と思いながら聞いてたわけだけど、”多様性”って難しいなぁと思う。

落合さんは”多様性に共感性をつけてはいけない”と言っていて、ある程度同意ではあるけど、聞いていると「多様性と共感性」を相反するものとして捉えているような気がして、ちょっとモヤモヤしてしまった。

多様性と共感性は切っても切り離せない関係だと思う。
それは、多様性というのは「様々なコミュニティが存在していること」というのが定義で、コミュニティが存在するには共感性が必要だからだ。

落合さんの言う通り”他の人が全員自分に共感するべき”という前提で人と接すると、多様性は損なわれる。
だけど、共感しない人が当たり前にいる世界の中で共感をするからこそ、人は群がるし、コミュニティができる。

共感性とは多様性を構成する1つの要素だ。

他人に共感しない人だけの世界は多様ではないし、逆に全員と共感をしても多様ではなくなる。


でも確かに、最近の「全ての価値観を受け入れよう」の精神には疑問を持つことがある。

全ての価値観を受け入れて、ストレスを感じない社会になってしまったら、おそらくそこで発展は止まるのだろうなと思うのだ。
多くの発展は、ストレスへの抵抗だから。

人によって受け入れられない価値観があって、それでも共存していく世界を”多様性”と呼ぶんじゃないだろうか。
そこにはマイノリティも存在するし、それを受け入れられない人も存在する。
だけど全ての価値観が存在できるようにする。

多様性に共感性をくっつけてしまっては、それは達成できない。
共感性はあくまで多様性の中に存在しないといけないのだ。


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