香港のデモについて私が思うこと
最近ずっと香港のニュースが目につく。ブレイキングニュースで入ってくるニュースにも、夕食時テレビで流れるニュースにも、Twitterで流れてくるニュースにも、香港がずっといる。
香港には友人もいるし、香港から来た友人もいる。Twitterでもnoteでも語ろうと思えばいくらでも語れるこの事象に沈黙を貫いていたのは、世界で起こる事象を自分の物差しだけで断じてしまう事に抵抗感を覚えるという、人類学を嗜むものとしてのポリシーのようなものによる所以だ。
だけど激化を極めるその事象を見て見ぬ振りする事はできなくて、今こうして文章を書いている。
発砲のニュースが入って来た時、私は目の前が真っ白になった気がした。香港は私にとって台湾と同じくらい身近な国だ。友人から香港の様子を伝え聞いているし、「香港においでよ」と誘われたことも何回もある。私自身、今度こそはと香港訪問を企てようとしていたほど、そこは馴染み深い土地だ。
そんな土地で、発砲が起きた。
デモの正当性について深く語る事は敢えてしないが、デモ過激化のニュースがどれほど流れようが、私はデモそのものを否定したいとは思わない。あれは彼らの人権と尊厳の問題であり、それらを奪う事は誰にもできないと思っているからだ。
独裁国家に対する批判も、今はするつもりがない。国をまとめるという事は難儀だ。民主主義でさえ不安定性を持て余し、未だそれらが解決していないというのに、太古から続く社会の仕組を否定する気はない。
人権問題は先進国を生きる多くの人間にとって、そして私にとってもセンシティブな問題だが、社会を比較し語る上で人権問題に対する過剰な批判は不適切となることが多い。
もし私が感情度外視で香港について語るとするならば、注目しているのは「人道的介入が入るか否か」と云ったポイントだろう。デモの切欠となった逃亡犯条例は文字通りただの切欠に過ぎず、個人的には選挙の仕組みが変わるまで問題は解決しないだろうと思っている。
9/10に香港の長官が他国の干渉への警告を出したが、このままデモが長引けば、国際社会がどう動くかは争点になるはずだ。
だからこそ香港警察もデモ参加者に対して手荒な真似はできなかったし、中国も牽制行為は多々見られるものの軍を用いて押さえつけるといった行為には踏み出していない。
今回の発砲によって、また長期化、過激化しているデモの様相によって、これから世界がどのような動きをしていくのか。中東問題では介入したNATOが、中国と香港の問題に介入しないということをどう説明するのか(中東問題は実際に多くの被害があったので今の香港の状況とは違うが)。
そんな事を考えていると、発砲ニュースを目にした時の衝撃が頭の片隅に追いやられていく。善悪は考えないといっても、矢張り心臓が痛い。私たちの当たり前が当たり前でない地域や国は世界にたくさんある。この世界は民主主義国家よりもまだ独裁国家の方が多いのだ。そのことを、先進国に暮らしていると簡単に忘れてしまう。
それでも、香港にいる家族を心配する友人に、私は何を言えばいいのだろう。
香港のデモについてはオリラジの中田さんが上手に説明してくれているので、気になる方はぜひ。
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