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同性愛規制の歴史について


今期は終期論文で「プロテスタント(キリスト教)と多様性(同性愛)」について書こうと思っているので、世界史を見ながら同性愛批判が起こった際に何があったのかを見ている。

これまでの人類学で霊長類の社会構造を見ていくにあたって、「同性間性行為」は自然なものであると解き明かしてきた。
性行為が子作りのためだけのものではなくなり、広く「社会的繋がり」を形成する一要素となってから、霊長類は同性同士の行為も頻繁に行うようになった。この傾向は霊長類に限らず、その他の哺乳類にも見られる。

人類も例に漏れず、同性同士の行為を握してきた。
世界の文化を見ると同性間の行為は一般的であるし、同性間の行為が厳しく取り締まられたヨーロッパを見ても、紀元前までは同性間行為は一般的であり、厳しく取り締まられるようになった後も人々の間で絶えることはなかった。

だから、疑問に思ったのだ。
どうして同性愛は批判の対象になったのだろう、と


長らく一般的であり、そしてそれが人間以外の霊長類にまで普及しているものが批判をされるということは、そこにはそれなりの理由があったということだ。
前回「差別と不平等」というnoteで長年社会的に許容されていた不平等がどのようにして差別へと変わったかを考えたが、同性愛批判にも同じような検証が必要なのではないだろうか。


はじめに国単位での同性愛批判が生まれたのは342年、ローマ帝国でのことだ。キリスト教の布教に伴ってのもので、キリスト教がローマ帝国の国教となった380年を境に取り締まりが厳しくなっている。そしてこの約100年後、西ローマ帝国が滅亡する。

この時期に何が起こったのか、詳しく見ていこう。

この時期のローマ帝国は度重なる戦争で疲弊していた時期に当たる。
人口が増え、権力争いが激化し、多民族からの侵攻も増えた。そんな中、勢力を大きくしていたキリスト教の弾圧も進んでいたが、311年ガレリウス皇帝死去を境にキリスト教の迫害が一旦の終わりを迎える。次いで、コスタンティヌスがローマ帝国として初めてのキリスト教を信仰した皇帝となる。
そして、この頃のキリスト教は強く同性愛を迫害していた。

激乱の最中、幼児死亡率も高かったこの時代では、女性が子供を生むことはほぼ義務となっていた。女性が生涯5人以上出産しなければ人口が減少に転じるからだ。
このような時代背景で、「同性愛は非生産的である」とする考え方が生まれるのは何ら不思議ではないし、キリスト教が迫害されていた時代に、キリスト教徒の間で子供を作ることの価値が高くなるのも有り触れた現象だと思う。


しかしこの同性愛嫌悪も11世紀頃までは再びなりを潜めるようになる。
教会内で同性愛は当たり前のものとして広がっていたし、国王が同性愛を自慢するようなこともあった。

同性愛嫌悪が再び日の目を見始めたのは、12世紀に差し掛かる頃のことだ。
この時代を詳しく見ていると、ちょうど十字軍遠征の始まりの頃である。

腐敗した教会を批判すると伴に、同性愛が糾弾されるようになった。
どうして同性愛が糾弾の対象になったのかはまだ明らかにできていないが、恐らく教会に蔓延る腐敗の一要因であると考えられていたのだろう。
ゴモラの書には明らかに同性愛批判が教会批判と伴に書かれている。


教会側の対応が大きく変わったのは、ロンドン教会が同性愛批判の姿勢を取り始めた頃からだろうか。

そして、ヘンリー8世がソドミー法というコモン・ローを始動させた1533年。ソドミー法とは性別に問わず広く「子を成さない性行為(オナニー・アナルセックス・オーラルセックスなど)」を犯罪化した。
このころ、ヘンリー8世に何があったのかというと、世継ぎを作るために離婚を画策。教皇との仲が悪くなりカトリック教会から離脱、イングランド国教会を設立したあたりの時期だ。

元々イギリスでは同性愛が厳しく取り締まられていたようだが、明確に犯罪化したのはこの時だろう。
アメリカを含めヨーロッパ諸国で類似の規制が敷かれるようになった。

これは個人的な憶測でしかないのだけど、同性愛批判は教会批判、教会権力から抜け出すための一助として機能したのではないだろうか。
敵認定した集団の慣習を蔑む行為は世界で散見されていて、恐らく最も有名なのが"文明化"だろう。植民地支配の際に使われた、「節操のなさ」「野蛮」などといった価値観だ。
蔑むことにより自身の優位を確信し、攻撃を容易なものとする。


この流れは、フランス革命まで続く。

フランス革命の後、刑法典を改正した際に同性愛を取り締まる法律が廃止された。
理由については未だによくわかっていなくて、そもそも同性愛禁止の法律が取り沙汰されたかどうかすら明らかではない。
しかし、フランスでは国王の法の元で同性愛は犯罪とされていたが、実際に処刑されたものは極わずかであり、そもそも同性愛規制はザル化していたのではないかという指摘もある。
であるならば、このタイミングで同性愛規制が解かれるのもそこまで不思議なことではないのかもしれない。

フランスが同性愛を認めたことにより、この『自由』はヨーロッパ諸国に広がることになる。
ヨーロッパではそのまま20世紀あたりまで、犯罪化したり非犯罪化したりと状況は頻繁に変わっていたようだが、アメリカを始め幾つかの国は以前強固な姿勢をとっていたように思う(さらっと全体を見ての個人的な感覚だが、アメリカ、イギリス、ドイツ、ロシアの辺りで強く規制されていたようだ)


私の終期論文は、なぜこれらの国では同性愛が認められなかったのか、を解き明かすことを目的としている。
もっと細かく言うならば、「なぜフランス革命では同性間行為が非犯罪化したのに、アメリカ独立戦争ではそうならなかったのか」だ。
社会・国際的な流動、政治システムの変革などと絡めて見ていくことになると思う。

プロテスタントを取り上げようと目論んでいるのは、プロテスタントの起こりが従来の教会批判にあることに起因していて、またアメリカではプロテスタントが主流派だという事実があるからだ。
思いつきでプロテスタントと同性愛を調べるだけなので、これからの調査の結果、この二つには全く関係がないということが明らかになるかもしれない。

また似たような議題で、「穢れの概念について」「世俗化と神聖化」「女性と武力社会」のような話題も同時に考えていきたいと思っている(論文に入れないけど)。
「女性と武力社会」は鋭意調査中で、ある程度まとまったらnoteにまとめようかと思っている。

終期論文についても、noteに気まぐれにまとめるかもしれない。
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