眼鏡がない
眼鏡がない。それだけで世界がぼやけて見える。
これだけぼやけた視界で過ごすのは、いつぶりだろうか。小学校2年生の頃には眼鏡を持っていた気がするので、ざっと10年ぶりくらいだろう。
最近は、シャワーの中でも、寝ている時でさえも、眼鏡をかけていた。
今日も、朝からイタリアの文明の発展と戦争について考えていたら、ついつい力加減を誤ってしまって、手元でレンズを拭いていた眼鏡を壊してしまった。
半年に一回くらいやらかすボケだ。
さすがにぼやけた視界では不便なので、普段は外出時しか付けないコンタクトレンズを出してきて、一日中付けていた。
コンタクトレンズは、目が痛い。
何故だかわからないけど、目を長時間瞑ることに抵抗を感じてしまうし、乾燥しているこの地域では、どうにも風にあたり目が乾いてしまうような気がするのだ。
だから、今日は、はやめにコンタクトレンズを外してしまった。
ベッドに寝転がり、ぼんやりとした視界で部屋の中を見ていると、どこか不思議な心地がする。
昔に読んだマンガに出てきたキャラの、「ぼやけた視界の方が、苦しくない」というセリフが、ぽっと脳裏によぎる。
ぼやけた視界。
目の前に立つ相手の顔すら満足に視認できないほどの、曖昧な、世界。
それは、確かに優しいのかもしれない。
だって、何も見なくていい。何も確認しなくていい。
今、すぐ近くに、とてつもない悪意が存在していたとしても、見えなければ、私の世界にそれは存在しないのだ。
視界が滲んでいる。
涙で滲む視界とは、また違う形で滲んでいる。
その滲んだ先を、どうしても求めたいと思ってしまう私は、もうすでに、この世界の悪意に囚われているのかもしれない。
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