見出し画像

やさしい革命ラボに起こった問題の分析


今回、コミュニティと集団を話すに当たって、いくつか言葉の定義をしないと齟齬を生みそうなものがあるので、先にこのnote内での言葉の定義を記しておきます。


国:現状存在する大規模な集団(日本、アメリカなど)、広義に200人程度を超えた集団(オンラインサロンも含む)。国家とコミュニティの機能を有する、国家に近いコミュニティ。

国家:多様性を獲得し、コミュニティの要素を全てそぎ落とした集団

コミュニティ:意思決定機関を持つ、排他的な集団

共同体:共に関わり合いながら生きる集団(国、コミュニティ)

集団:人間の集まりの一般概念


国と国家は本来ほぼ同じ意味ですが、同じような規模の集団で別の役割を表したいので、わざと言葉の定義を分けています。

「ん?」と思った時は、この言葉の定義に戻って照らし合わせてみて、それでも解消しない場合はコメントなり何か残してください。

長く複雑な文章ですが、最後にまとめがあります。正直これだけ読めば、内容がわかる。


+++

ちょっと前に「やさしい革命ラボの分析をしたい」とツイートしたのだけど、今朝起きてみて、集団についてやり始めてから、「そういえば、本格的に分析してみよう」と思い至ったので分析をしてみる。

まずは、最近導入された収益化についてさらっと触れておきたい。

収益化というものは、フィルターのような役割を果たす。
家入さん、やさかくの理念に賛成して、お金を払うまでのコミットメント。同形質なものを手繰り寄せるひとつの機能だ。

収益化を詳しく見てみると、やさかくラボの外側で収益化をするようで、ラボに入るには運営メンバーの認証が必要らしい。
志望動機が求められているところから、ここで人柄の選り分けをするのかなぁと。

コミュニティというものは、多様性がすぎると、接触摩擦が沈殿して問題が多くなるようにできている。
完全にオープンで全てを受け入れる多様性というものは、コミュニティという集団ではうまく働かないことが多い。
多様性を受け入れなくてはいけないのはコミュニティではなく、コミュニティの外側での話なのだ(ちょっと前に話していたサードプレイスの話と、後述する”国”の話につながります)。

だからこそ、選り分けをするのはコミュニティ(特に規模の大きいコミュニティ)にとって必要なことで、今回の収益化や認証制度のようなものはある程度必要なのだろう。

当初は、家入さんが掲げた理念によってある程度の選り分けができると思っていたのだけど、どうやらそれでは足りなかったようだ。


やさかく関連のnoteを見ていると、『独裁国家』にしたい、という意見もちらほら見られた。
もちろん、そういった道を進むのもアリだと思うのだけど、それは、コミュニティではないというのは言っておかなければいけないと思う。

国家はコミュニティを内包する集団のことで、もちろん多様性を受け入れる必要がある。
従って、国家の方に選り分けの責務はないのだけど、その中のコミュニティの方に選り分けの必要性が出てくる。

また国家というものは、多様性を許容するため、集団密度が低くなる
これは集団が大きくなればなるほど適応されるもので、生産性はある程度の集団密度がないと発揮されないので、生産性を維持するためには内包されたコミュニティで選り分けを行い、局所的に密度を濃くする必要があるのだ。
密度をどれだけ濃くできるかはある程度人数に比例する(もちろん相性をあるけれど)。

学校という集団を考えて欲しい。
学年という大きなまとまりがあって、次にクラス、その次に班というまとまりがある。
これらの密度、すなわち関わり合いというものは、大きなまとまりになるにつれ頻度が低くなることは、なんとなく経験している人が多いのではないだろうか。

人が同時期に社会的関わりを維持できる人数は150人程度(100−250人)だと言われている。
この数字は『ダンバー数』と呼ばれるもので、類人猿のグルーミングという行為と脳容量の相関から人間の脳の大きさを比較して出されたものだ。様々な社会的事実と照らし合わせても、おおよそ正しいことが確認されている。

ただ、この150人というものは、半強制的な必要性が働いた場合のみの話であり、実際、自然に形成し得るコミュニティというものはこれより小さくなるのではないかと言われている。
そもそも、一つのコミュニティだけで150人を満たす状況なんてあまりないから。

この人数を超えた集団は、コミュニティの機能とさらに国家の機能を有している必要があり、現代の国は『限りなく国家に近いコミュニティ』だと言える。

これが意味することは、これ以上の人数がコミュニティ内に存在をしていると、何もなくてもストレスを感じてしまうということだ。

今回のやさかくは、スレッドがわかれていたようだけど、スレッドを超えた交流というのも盛んであったように見られる。
コミュニティというものが、やさかくラボ全体だと捉えられていて、その規模が大きくなることによって、潜在的なストレス値が上昇していた可能性がある

やさかくラボは、国家ではなくコミュニティであり、しかし、国家のような多様性を内包していたということだ。


潜在的なストレス値が増大すると、問題の表出確率が上がる。
これはスタンフォード監獄実験を見てもわかる通り、問題の表出確率が上がると、その内のいくつかがエスカレートして大きな問題へと発展する可能性も上がる。

この実験を紹介している動画(VsauceというチャンネルのYouTubeプレミアム動画無料公開分)で、同じような実験を新しく検証したものがあるのだけど、高いモラルを持つ人を集めて潜在的にストレス値が高くなる状況においても、人を傷つけようと動くことはない、という結果が得られた(サンプル数少ないけど)。
モラル、つまりやさしさはストレスに対抗する要素となる。

やさかくラボも、おそらく高いモラルを持つ人が集まるコミュニティなので同じような効果があると思うのだけど、今回の場合、ストレス値の増大とそれが長期間続いたことによる積み重ねが仇となったのだろう。


やさかくラボの場合、原因は運営の不準備と急激な人数増加にあったと思う人が多いのだけど、私としては、この「国家とコミュニティの不完全な融合」こそが問題だったと思っている。
そして、この問題が解決しない限り、運営がどれだけ成熟しても、同様の問題はこれからも起き続ける。

ただ、おそらく、運営が成熟していくにあたり、どちらかに傾いていくのだろうとは思っていて、今の動きを見る限りコミュニティにシフトして行っていると感じる。
他のオンラインサロンにも見られる通り、”国”というコミュニティになっていくのだろう。

こういうコミュニティを増やすことには、とてつもない意義があり、もし、こういうコミュニティを増やしたいのであれば、やさかくラボはコミュニティでなくてはいけないのかもしれない。

というより、そもそも、居場所を目指すということは、肯定してくれる場所を目指すということで、それはコミュニティでしか機能しないので、やさかくラボは最初からコミュニティを目指していたということではないだろうか。

そこに、『国家』の機能を求めるユーザー(私の見解だと、自分の意見が認められなかったため多様性を求めるようになった)が現れて、問題が大きくなったのだと思う。

家入さんの発言を見ていると、一貫して居場所(コミュニティ)を目指しているし、だからこそ、今回の問題の解決策では、コミュニティ的選択をしたのだろう。


ただ、『これって国家的解決法では難しいの?』という疑問もところどこと見られるので、それについてこれから考えていきたいと思う。


もし、やさかくラボを国家にするのであれば、どういった手順が考えられるのだろうか。


やさかくラボの理念は『やさしさ』だと思っていて、当初のやさかくのメンバー募集の方法を見れば、やさかくは『国家』となる土壌があったとも言える(排他的ではなく、あの時点でルールはなかったから)。

前から気になっていたのだけど、やさかくラボには『裁判所』なるものは存在していたのだろうか。
部分的に運営がやっていたのか、それとも問題が起こったことによって、家入さんが半強制的に判決を下すようになったのか。

私は、国家には究極的に裁判所しか必要がないと思っている。
(これは、SNSと呼ばれる国家がやっていることなのだけど、今回の内容とは少し違うので、また後日別の記事に)

裁判所には、ルールがある必要はない。
コミュニティ規模が小さければ、全員での話し合いで解決することも出来るだからだ。

家入さんが『やさしさ』を提唱している限り、話し合いの肝は『やさしさ』になると思うので、ルールを決めず話し合いで解決することもできるだろう。

これはゴリラの社会ではよく見られる光景で、反対にニホンザルやチンパンジーだと力での解決をすることも多い。そちらの方が、短期で決着がつき、経済的コストが低いからだ。

コミュニティ規模が大きくなると、話し合いで全てを解決する経済的コストの高さは看過できない問題となる。
だからこそ、現在の裁判所の仕組みであって、みんなが合意して選んだ裁判官の決定に従う。

私の疑問は、「やさかくラボにはこの裁判官の役割を果たす人がいたのか」というものだ。
正直、あれだけの規模のコミュニティだと、全てを全体合意で解決するのは合理的ではないし、多数決だと場合によっては切り捨てられる人が多くなってしまい、それが新たな火種につながる。

このケースだと、運営がその役割を担っていると考えるのが自然だろう。だって、運営以外のロールがないから。

運営が何をやっているのかはわからないのだけど、何か問題が起こった時にそれを解決するための機関というものは確実に必要になる。
人間が生きて接している限り、問題はなくならないからだ。

この機関というものは、すべての人間が決定に合意できる、反対意見だったとしても決定された時点で肯定をすると決められる、そういう機関である必要がある。

今回の件を見ていると、ある運営の不祥事が浮き上がってきて、「それはどうなんだ」と詰め寄ったというのも問題の一つにあったようだ。
それに対して問題解決ができるシステムというものが、まだ備わってはいなかったのではないか。
そして、それを解決しようとした運営への信頼がなかったのではないか。
そのように見える。

運営がどのようにピックされるのかわからないけど、人間、自分の手が出せる範囲で行われた決定でないと従えないという性質がある。
もし、他者に勝手に選ばれた運営の不祥事が飛び出てきた場合、それを同じく他者に選ばれた運営が解決しようとするのは、少し無理があるような気がする。

運営の人を批判しているわけではないけど、国家の中で運営をする以上、公平を期すために、なんらかの形で全ての人間が選出に参加できるようなシステムを作らないといけないのではないだろうか。

もちろん、コミュニティにはこんなもの必要なく、『国家』にするのであれば、必要なプロセスだと感じている。


そして次に挙げるとすれば、ルールを持たないこと、すなわち意思決定機関を排除することだ。
「これで本当に集団が動くの?」と思うかもしれないが、意思決定機関を持つのは内在するコミュニティの方で、国家そのものには意思決定が必要ない場合が多い。

例えば、何かイベントを興したい時はそのイベントを執行するコミュニティを作ればいいわけで、その中に意思決定機関を持てばいい。
国家内で何かの役割が必要になるのであれば、その役割を担うコミュニティを作り、そこに意思決定機関を持つ。
意思決定に問題があれば、それを判断する裁判所さえ全体で共有されていれば、問題は解決する。

だからこそ、国家という全体として必要になのは、裁判所だけだと思うのだ(これは歴史の中で一回も事例を見たことがないし、検証実験もないので確証はないけど)。

全ての人間が対等に、厳しいルールのない状況でまとまるには、集団は小さくなくてはいけない
家入さんも、「小さい経済圏を」と言っているように、ルールを持つのはコミュニティだけでよく、それがいくつも存在している、必要によって新しく生まれる、消える、そんな世界を実現するには、それをまとめるものはルールを持ってはいけない。


もう一つ、国の話をしておくと、集団が大きくなると、多様性の摩擦が生まれ問題が増上するのは自然なことで、それを許容するには、マネジメントをする部分はできる限り小さく、そして集団密度を薄く(もしくは局所的に濃く、あとは薄く)を実現するしかない。

やさかくのツイート(始まった当初から、家入さんの鶴の一声があって数日まで)を見ていると、集団密度が全体的に濃いまま、そしてマネジメント部分がそのまま大きく、その状態で集団が拡大したため起こった問題だと思う。

生産性にコミットしない集団ならあるいは成立するのかもしれないが、それは井戸端会議のような集まりを目指すことと等しいのではないだろうか。

もちろん、そんな集団も魅力的だとは思うけれど、「やさしい革命」という名前の通り、全く生産性がない集団にするつもりはないのだろうし、全体的に密度を薄くしてしまうと生産性が失われていくので、局所的な濃さを目指していかないといけない。

「やさしさ」とは、確かに内部で起こった不和を緩和する要素であることは確かだ。

しかし、緩和可能範囲を超える摩擦が起こった場合(摩擦というものは熱のように溜まり、伝搬していくので、現実的に言うと、全体にはびこる摩擦熱がある一定水準を超えた場合)、「やさしさ」の緩和、鎮火では足りなくなってしまう。
その境目が、2000人くらいだったのではないだろうか。


まとめ

・人間が同時に社会的関係を結べるのは150人程度。それ以上になると潜在的にストレスを感じるようになる。

・やさかくラボが2000人に到達した辺りで、集団密度の高さと、認知的社会人数の限界、その他諸々が合わさりストレス値が緩和不可能領域まで増大。

・問題を解決する機能の不足で雪達磨式に問題が肥大。

・コミュニティとして中の人間を選別、ルールを布いてストレス値の緩和を目指す。

・これ以上人数を増やすと、コミュニティとして集団密度を維持したまま動かすのは難しくなる。

・集団密度と多様性はペイオフ。

・局所的に集団密度を高くして、全体平均密度を低くする手もある(オンラインサロン、会社的な)。

・ぶっちゃけ、もっと小さいコミュニティが乱立している方が良いと思うんだけど、どうなんだろう。


こんな感じ。これからの動向も気になるね!



追記;
文中で「運営が何をしているのかわからない」と書いたけど、運営の人のnoteを見つけたので。

これ読むと、最初、運営はコミットメントを高めるにはどうしたらいいのかの話をしていたのではないかと思う。
全ての人間が、未だにコミットメントをうまく獲得していない状態では、コミュニティ、国家、とかそういう議論の前に、そもそも集団になれない。
集団になるための運営だったのだろうと推察。

そして今は、集団になる関門を突破したので、コミュニティにするにはどうするかの議論をしていたりするのかな。
プロジェクトとかイベントとかも進んでいるらしいので、その話し合いも。

主に書籍代にさせてもらいます。 サポートの際、コメントにおすすめの書籍名をいただければ、優先して読みます。レビューが欲しければ、その旨も。 質問こちら↓ https://peing.net/ja/nedamoto?event=0