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僕の名前はスティービー(僕、産まれるときに目を忘れちゃった/最終章)

僕の名前はスティービー。

僕は空が青いことを知らない。
トマトが赤いことも、
もちろん雪が白いことだって知らないんだ。

人間ってどんな形をしているのだろうね。
きっと大きいんだろうね…

とある場所に捨てられていた、目を忘れて産まれてきたスティービー。2017年10月、偶然にも石堂さんという家族と出会い、幸せな生活を送りはじめてほぼ一年、短くもあったが、彼にとって幸せな猫生に幕を閉じた。

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彼と出会い、保護から幸せな暮らしを手に入れるまでのストーリーを書き、それに刺激された「むらかみけいじゅ」さんが、彼と全ての野良猫を応援する楽曲「I’m Always Be With You.」を公開した矢先の出来事。なかなかその状況を受け入れることができず、報告できなかったが、ようやく「けじめ」としてこれを書いてみることにした。

急激な体重減少という異変。
猫一倍ご飯を食べていた彼が急に食欲をなくし、体重が落ちはじめたのは石道家で生活をはじめてそろそろ1年が経とうとしていた2018年10月の頃。異変に気づいた裕子さんはかかり付けの動物病院へスティービーを連れて行った。すると腹水が溜まっていたらしく、とある病気を疑ったドクターはその抜き取った腹水を検査に回した。そして、後日「FIP」と言う聞き慣れない言葉を裕子さんはドクターから聞かされることになる。

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FIP(猫伝染性腹膜炎)とは、猫腸コロナウィルスというウィルスが引き起こす、発症すると致死率100%の不治の病とされている病気。このコロナウィルスは弱毒性で多くの猫が感染されていると言われており、感染すると下痢を起こす猫もいるがそのほとんどが無症状。
しかし、一部の猫が何かのきっかけによって体内でFIPに変異すると言われている。変異の要因はストレスとも言われているが、はっきりとしたことはわかっていない。特に若い猫に多く見られる免疫系の病気で、初期症状として、発熱、食欲不振、嘔吐、下痢、体重減少などの症状が見られる。早ければ1週間、長くても1〜2年で死を迎えるとても恐ろしい病気。

石道家の猫は現在9匹。一番気をつけたことは、他の猫への感染を防ぐため、スティービーがトイレを使った後の徹底した掃除。奥様の裕子さんが買い物などで外出をしなくてはならない時はトイレとトイレの間の約3時間を狙って行ったという。また、所用で遠方へ出かけたときなど、3時間で用が足りず、片道1時間半近い道のりを2往復したとも。
また、ご主人の達也さんもエサを食べやすいようにペースト状にし、栄養剤を混ぜて食べさてみたり、涙を浮かべながら「死なせてたまるか!」と生きるサポートを尽くした。
お二人は時間の許す限りスティービーに寄り添い、最後の最後まで献身的な介護を続けた。

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スティービーの用心棒「十兵衛」

そんな甲斐もあり、僕が石堂家に訪れたときは、出迎えてくれたり、じゃれてみたり、お見舞いの医療用チュールをぺろっと食べるなど、少し元気を取り戻した様に見えた。

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しかし、2018年11月8日「10時55分、スティービーは私の腕の中で、天国へ逝きました。苦しみから解放されて良かったねと言いながらもとても悲しいです」と裕子さんよりメールが届いた。
この子は強運の持ち主だからこそ、周囲の誰しもがずっといつまでもこのまま幸せに暮らしていくものだと思っていた矢先の出来事。かかりつけの動物病院の先生からは「この状態で1ヶ月もよく頑張りましたね」と。

海外ではコロナウィルスの研究も進み後々は不治の病でなくなる日も近いかもしれない。そんな日が早く訪れるといい。

スティービーが残してくれたこと。
「どんな逆境にも負けず、与えられた命を生き抜く。そしてかっこいいピカピカのニャンコになって欲しい」と娘の杏殊さんに名付けられたスティービー。この存在は石堂家に語り尽くせないほどの大きな想いを残した。その想いをご主人の達也さんはこう語る。

「現在、我々は恵まれた環境で暮らすことができるにも拘わらず、その環境に感謝できない。他人と自分を比較しては嫉妬する。お金や物に執着して本当に必要なものを見つけられない。この様な我々の心の中のわがままが我々を幸福から遠ざけてしまう。
その一方、この猫(スティービー)は盲目という大変な障害を背負わされたにも拘わらず、残された能力を最大限に発揮して健気に生きていた。最も、生まれつき目の無いスティービーにとっては、光の無い世界ですら当たり前のであり、それを自然のままに受け入れていた。
多くの宗教家や哲学者がどうすれば幸せになれるのかという疑問に答えようとしている。しかし、中々その言葉は私の魂の深いところには響いてくれない。
このスティービーとの1年間こそが、人生にとって大変重要なことを私の魂の深いところまで響かせてくれたものであると感じている」

そして「スティービーは身をもって真実を知らせるためにこの世に降り立った菩薩であると、私は確信している」と締め括った。

また、「彼はどんな逆境にも前向きに生きているんですよね。いや『生ききっている』という言葉の方がしっくりくるかもしれません。彼はどんな時でも楽しそうで、先住猫たちにも引けを取らず、何にでも興味を持ち、そして決して怒らず、優しかった…」と裕子さん。
和さびや十兵衛を迎え入れたときも、先住猫たちとの仲を取り持ち、面倒見の良さは猫一倍強かった。杏殊さんには「常に誰かに愛を与え続けている」ように見えたという。

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(写真/石堂裕子さん提供)

目が見えないからではない。頑張って生きる姿、思いやる心が石堂家をさらなる硬い絆で結んでいったように思えてならない。動物には人を動かす「なにか」があるが、スティービーは特別にそれが強かったのかもしれない。

お墓は府中の「慈恵院」。留学中の杏殊さんも年末の帰省でスティービーに「私も一生懸命勉強しているよ」とお別れを告げた。

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(写真/石堂裕子さん提供)

僕自身、彼に出逢って「生きること」を考えさせられました。
そしてこの家族に出逢って多くの「愛」を学びました。

仕事柄、いろいろな猫たちに会いますが、幸せな猫たちだけではありません。野良猫だから不幸という訳ではなく、捨てられる、虐待されるなど、人間の勝手で様々な変化を余儀なくされること、それが一番の不幸と思います。

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また毛皮を着替えてその姿を見せて欲しいな。
頑張ったご褒美に神様からきっと目を貰えるよね。
そして、ありがとうスティービー。
(2019年1月記/小学館 PETomorow掲載)

文・写真/ケモノの写真家。小山 智一
http://ne-cozou.com

僕はいつもデニーズのモーニングを食べながらキーを叩く。ちょうどこの記事を書き終えたとき、たまたま隣の席に居合わせたご夫婦が近所の野良猫の話しをしていた。「捕まるかな?避妊しないと大変だよね、どうやって保護する?いつ病院へ連れて行く?」などといった会話が聞こえてきた。捨てる人もいれば、野良猫の「猫権」を尊重して生きる環境を整えている人もいる。今日はちょっといい朝だ。

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