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時間が解決してくれるのは、その程度のもの

いつか分からないけど、居酒屋の席で酔っ払った友人が僕にこう言ったことがある。

「何事も時間が解決してくれるんですよ。これ本当に、だっておじいちゃんや、おばあちゃんがいろいろ言ってるの聞いたことあります?ピンピンしてるでしょ。だから大丈夫なんですよ。」

それからというもの、僕も他人にこの言葉を都合よく乱用してきた。

あながち間違ってはいないと思う。

苦しかった受験勉強や、大好きだったあの人との別れ、あとはもう思い出せない小さな悲しみや、苦しみなど僕にも沢山ある。

それは忘れてしまっているものなのか、覚えてはいるが思い出せないものなのか、最近判別がつかない。

全国各地で甲子園への予選が行われていた。各地の激戦の様子がまとめられたハイライトをYouTubeで見ていると、「何点あったらこの試合勝てる、何点欲しいんや。」とブルペンでピッチング練習をする僕に話しかけてきた高校時代のチームメイトがかけてくれた言葉が脳内で再生され、ふとあの日に想いを巡らせてみた。

「あと2点欲しい、後は抑えるから、」

僕はこう返した。彼は僕の言った通り、次の打席で2点タイムリーを打ってくれた、ブルペンに付いた小さな窓からその様子を見てガッツポーズをした覚えがある。彼は打ってくれた、しかし僕は抑えきることができなかった。チームは準決勝で敗退した。

試合終了後に、真夏の日差しが照りつける球場外で彼が涙を流しながら僕に言った。

「お前は悪くない、よくやったよ。誰も責めないから。」

情けなさで涙も出なかった僕は、ただ茫然としていたように思う。

他にも、先日電車に乗って音楽を聴いていた際に「何でいつも先頭車両に乗るの?」という今はもう懐かしいある人の声が聞こえてきた。

理由はない、改札を抜け階段を降りた先が先頭車両だというだけだ。しかし、「何だろうな、景色がいいんだよ。」と少し痛い返事をした僕。
「確かに、何だか開けてていいね、これからは私もこの辺りに乗ることにするよ!」それからその人と出かけるときは先頭車両によく乗った。

その人とはもうすっかり疎遠になったが、今も先頭車両には乗り続けている。理由は改札を抜け階段を降りるとそこに先頭車両が来るからだ。
ただそれだけなのだ。たぶん。

多くのことは時間と共に、過去のものになる。過去は振り返らない方がいいよ、昔のこといつまでも言ってんなよな。そんな事を言う人が今はもう大半だ。

でもその過去があるから今の自分がある、自信をもって言える。これはまた執着とは違う色のものだ。(めんどくさいおじさんになりたくない自分をどこか必死で引き留めているだけかもしれないが。)誇りはしない、でもふと現れて懐かしい気持ちや、甘酸っぱい気持ちにさせてくれるその程度のもの。実家に帰省した際のロバのパン屋みたいな感覚で僕の中に生きている。

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