ジストニアが変化しはじめた不思議な日からのさらなる変化

ジストニアと診断されて数ヶ月、数ヶ月ぶりに自分の体が自分の意思で立つことができた嬉しさ。普通に立っていられて普通に歩くことができる感動。みんなには当たり前のことだが、私にとってはとても特別なこと。

”こんなの簡単だ!”その言葉どおり、私の身体はその時確かに元にもどっていた。

セッションでの体の変化と心にのこったこと

友達に連れられ、訪れたセッション会場でのセッション後、私は普通に壁なしで椅子にも座れ立って歩くことも、壁なしで立つこともできるようになっていた。

そのセッションは、私たちには見えないトラブルのもとになっているものをとってもらえ、そうすることで体が明らかに変化する。私の場合は体がおかしかったので、もっとわかりやすくまっすぐ立てるようになった。ただ、また数時間後、体がひっぱられるような感覚が少し戻って来た。それに気づき、もう一度セッションしていただいた。そうするとまた普通にもどる。帰り際までなんどもとっていただいた。

セッションはみんなの前で次々おこなわれるのだが、どんな人でもどんなことでも、とにかく楽しく進んでいく。やってもらったみんなは笑顔になるし、そこにいるだけで何だか楽しくなる。体が楽になる。何といったらいいか、不思議な空間。

友達の紹介とはいえ、今日はじめましての人間に無償でここまでできるものなのだろうか。自分ならここまでできるだろうか。それは私だけではなく、その会場にいる人みんなにそうなのだ。とにかく優しい。優しいって言葉でいいのかわからないほどみんなに対して優しい。感動すら覚えるほど優しい。そしてそれが、つくられたものではないことはその場にいればすぐにわかる。本物なのだ。

なんだか、私はこの日、身体が治ったことはもちろんだが、あの人は一体何だったのだろう?と、、本物すぎる、そんな人に会えてしまった嬉しさが一番にこころに残っていた。

スカイプでのセッション

直接セッションを受けた次の日、私は再び実家へもどった。体はまたひっぱられるような症状がでていた。これでしばらくセッションを受ける機会はないんだな、と思っていたのだが、なんとスカイプを使って画面越しでセッションしてもらえるというのだ。遠方にいる私にとっては本当にありがたい話。しかもこのスカイプセッションも料金は一切かからないという。

私も散々治療を探してきたが、通常特殊なセッションというのは、値段が記載されていなかったり、問い合わせると1回が何十万だったりすることだって少なくない。それをスカイプで、こちらに何の負担もなく、させていただけるというのだ。そんなありがたい話ってあるだろうか??最初は本当かな?と思った。

でも本当だった。

知れば知るほどますますそうだった。

どこまで探っても出てくるのは理想的な世界。ただただ、何の見返りもなく見ず知らずの私の病気をスカイプ越しにとってくれるのだ。ありえない、けどありえるし、私の体をもって実際に体感するのだから、自分ではわかるのだ。

ジストニアは人によって症状の重さも、出る場所も違うとは思うが、私の場合は背中から首まで全体が後ろに反ってしまうほど強い力で引かれる。自分ではそれを耐えていたり、体を手で抑えてなんとか立っていたり、壁にもたれていたりするので、周りからみたら、そんなに大した病気には見えないかもしれない。だが、本人は生活するのも一苦労なのだ。

セッション後また症状が出てしまっていた私をスカイプの画面越しに見て、セッションと同じように画面を通じて見てとってもらえる。そうすると、身体がふっと力がぬけたり、軽くなったりする。人には大きな変化はわからなくても、やってもらう本人にはなにか変化がある。

症状がでたらスカイプして、と言っていただいていたのだが、スカイプ自体も慣れないし、やり始めた最初の1ヶ月くらいは、遠慮や緊張もあり、またかけちゃってもいいのかな、とかなり遠慮していた。症状は四六時中あるので、それが強くでて、辛くてどうしようもない時にかけさせてもらっていた。

家から一歩も出ることなく、住んでる場所も関係なく、画面ひとつで、料金もかからずにやってもらえる。こんな理想の世界のようなことが実際存在するんだ、とやってもらっているうちにどんどん実感が深まって、最初は何がおきているのかわからなかった。

状況も落ち着いていくに従ってどんどん感謝にかわっていった。

そしてスカイプでのセッションも1ヶ月が過ぎようとしていた。

画面越しにお話をしてセッションしてもらうというのが、大きく動くことのない私の、日常のとても楽しみな時間に変わっていた。

沢山時間をさいてくださって、いろんなお話をさせていただいたことがあった。その日を境に私の身体は、明らかにぐんと変わった。その日スカイプを終えたあとから、あれ???とおもうほど身体が軽い。すごい重さでひっぱられていたものが、すっかりなくなってしまったのではないかと思うほど身体の重さが違う。今まではあまりに重かった一歩が、あれ?だんだん私普通の早さにもどってないか?と感じるほど体感が軽くなっていた。実際はこの時点ではまだひっぱられているのだが、今までのひっぱられる重さよりも明らかに軽い。重りの一部をはずしてもらったみたい。例えるなら20キロついてた重りを一気に5キロ減らしてもらったような感覚だった。

ジストニアの症状とその改善経過

いつも思うのだが、ジストニアの症状は説明が難しい。痛いですか?ときかれれば痛くはないし、どんなタイミングで症状が強くなりますか?と言われてもここ!っていうタイミングがあるわけではない。全く動けないかと言われればそうではないし、どこかに麻痺があるのとも違う。熱も疾患もない。体の一部が過緊張でこわばってしまい、ガチガチに固まるので、自分では動かしたくても動かない。ただ、その症状を説明すると、医療従事者ですら、専門の方でなければ”は???” となることもよくある。整形いきましょうか、ってなることもある。

ジストニアは難病だが、難病指定はされていない。

難病指定の病気の場合、医療費はかからなかったりするが、ただの難病の場合医療費は自腹。しかも高額。原因ははっきりわかっていないため、これ!といったしっかりした治療が確立されているわけではない。

あくまでも、これをやったら治る可能性もありますよ、というものだ。

飲み薬も効くかはわからないものを一つ一つ試してみるしかない。効く可能性はわずかでも、副作用の可能性は高い。そんなリスクをおかして人体実験するしかないのだ。選択はこちらに委ねてもらえるので、私は悪くもない体の部分をわざわざ実験したくなかったし、自然治癒力の方がよっぽど信用できると思っているタイプの人間だったので薬は一切飲まなかった。

病院や、その他の治療院でも必ず言われた共通点。”ストレスをできるだけかけないように過ごしてくださいね〜”というもの。

この体のストレスを軽減させたくて行った場所での診断結果はその一言でおわる。もちろん、そう言われれば、素直な私は何のストレスもかからないように過ごしていた。本を読んで気持ちをできる限りポジティブに保ったり、好きな映画を見て見たり、気持ちの整理をしてみたり、友達と電話して見たり。でも、そんなことを続ければ続けるほど、ずっとこのままなのか?っていう不安が自分の中に顔を出してくるのである。

のんびりするのがノンストレス、と思う人も多いかもしれないが、私は仕事が好きだった。セラピストの仕事はとても楽しかった。うまくいかなくて考えさせられることも多かったけど、それも含めて楽しかったし、やりがいもあった。それがもうできないかも、っていう事が私にはとても残念なことだった。

スカイプセッションをしてもらうようになって、一番変わったこと。それは、”こころ”だった。

不安で不安でたまらなかった毎日。

先が見えなかった毎日。

これからどうなっていくんだろう、ずっとこの状態が続くのか?と、時間ができるとそんなことをぼんやり考えてしまっていた。

スカイプでセッションしてもらうようになってから、自分が知りたいと思っていたことを沢山知れた。

セラピストをしていた時からしりたいと考えていたことや、この自分の体のこと。見えない世界のこと。

こころも目には見えない。見えない世界の変化。それがとても楽しかった。

自分は今すごく大事な勉強を、ジストニアになったことでさせてもらっているのかもしれない、という実感。

そしてどんどん自分の心の中にあった不安がなくなっていった。

実際にセッションでとってもらっているのが何かは、私には見えないしわからない。ただ、身体がいいように変化していくときに、一番変化していたのは心だった。

私の語彙力のなさで、すごくうすっぺらくなるのが残念だが、とてもとても大切なこと。

一番大事だけど、目に見えるものだけを追いかけていると、一番置き去りになってしまう部分。ココロの変化の大きさ。不安のなさ。自分のよくない状況で不安がなくなっていくことがどれだけすごいことか、この後私はさらに身をもって体験させてもらうことになる。

ピアニストの西川梧平さんという方が、ジストニアになったことがギフトだった。と言っていた。私もいつかそう言える日がくるといいなと思ったが、もしかしたらこれは、本当にギフトなのかもしれないな、と、このころの私は心の片隅で思い始めていたのかもしれない。



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