憎むのと怒るのと

怒るのと憎むのって近いようで遠いと思うのです。

怒るって外に向かう力で起爆剤になりそうだけど、憎むって内向きの力で、自分を呪縛してしまう気がする。ターミネーターも映画で無気力な主人公に対してわざと怒らせて、「怒れ、怒りは力にもなる」…的なことを言ってた気がする。

喜怒哀楽で怒が選ばれて憎が選ばれなかったのはそんなところかなって思う。

そんなの綺麗事じゃないか!っていう人もいるし、かつて私も運命を憎んだ。なんだよって思ったりすることがしょっちゅうだった。だってさ、ズルいんだもん私だって、こうしたい、ああしたい、でもそれを許されない…。なんで自分だけ、いやだいやだ…。みんなズルい!!心でいっぱい泣いていた。

でもそんな風に恨んでも何も変わらないし、憎み続けることは悪い考えや妄想も浮かんでくるみたいで、さらに悪い方向に行っていた気がする。

そんな体験を経ていく中で、憎しみの心を抱えてしまっている人に対して、引っ張られず明るいTHE⭐︎大作戦を決行することにした。

すると、笑った!相手が笑った!いいぞ、いいぞ、私はあなたの笑顔が大好きだ!そんな風に生きてきた。今も人が笑ってくれるのってとても嬉しい。

最近は無理におどけて笑わせたりしない(逆道化師のソネット術)とか、巻き込み型の憎しみ人とは少し距離を置く(くわばらくわばらの術)のとか、寄り添って話を聞いてあげる(うんうんそうなんだねの術)とか得てきた。

そして、類は友を呼ぶというのは本当で、最近私の周りに憎しみに囚われている人がいない。心優しい人がとても多い。人は自分の鏡というから私も人の目にそう映っていたら嬉しいな。

憎む時間も笑う時間も知識を得る時間もみんな同じ時間が流れる。同じ流れるものならば心穏やかにいられたらどんなにか素晴らしいだろう。

下を向くときがあっても、下を向きながらでも前に進んでいればパッと顔を上げたとき違う風景が見える。変わり続ける風景に心を乱されるのではなく、パッと顔を上げたときの風景を楽しみにする…そんな人生もいいかもしれない。

人それぞれ生きるペースやタイミングがある。誰のことも憎まず、強要せず、自分のペースを守り、みんなの良いところを尊敬しながら、明るく健康に生きていきたいな、みんなが幸せだったらいいなと思う今日この頃です。


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