日本の報道の過ちと犯罪とその背景について考える

こんばんは。エッセイ執筆途中ですが、ニュースから気になったことがあり、書き記そうと思い立ちました。

まず、いま気になっているニュースは2件。川崎20人殺傷事件と、元農水次官の息子刺殺事件です。この2つの事件を知らない人は今や居ないでしょうが、念の為、参考に事件について書かれたページのURLを貼っておきます。

まず、川崎20人殺傷事件はこちら。https://ja.wikipedia.org/wiki/

そして、元農水次官息子刺殺事件はこちら。https://www.fnn.jp/posts/00046616HDK

川崎20人殺傷事件のニュースは、普段テレビを観ない私でもネットニュースなどで知ることが出来た、大きな事件だ。特徴としては、街中のバス停に並ぶ学生達の多くをターゲットにした、通り魔的犯行だけれど、計画性があったのではと推測されている点と、事件直後犯人の岩崎容疑者が自身の首を刃物で切って自殺している点だろうか。いくら大人の男性であっても、いくら鋭利な刃物を持っていようと、わずか数十秒で大勢の学生や保護者を殺傷することは容易くは無いだろう。また、いくら鋭利な刃物を以ってしても、実際的に自身の首を躊躇い無く切りつけ、確実に自殺することも、本来なら容易くは無い。なにか、とても根深いもの―強い憎悪のようななにか―を感じる事件だ。

概要としてはWikipediaを引用しつつ、解説していきます。

2019年5月28日7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが近づいてきた男性に相次いで刺されたという。終始無言のまま待機列の背後から駆け足で襲撃したようで、人間の不意を突くような形で奇襲したと見られるそうだ。最初の襲撃はファミリーマート付近で始まり、加害者は保護者の男性(後に死亡を確認)を背後から刺したという。その後、約50メートルを無言で走って移動しながら保護者の女性と児童17人(後に死亡を確認された女児1人を含む)を立て続けに襲撃した。加害者はスクールバスの運転手から「何をやっているんだ」と叫ばれた後、さらに数十メートル移動して自殺に及んだ。襲撃開始から加害者が自ら首を切るまで十数秒程度だった、とされている。事件発生時、付近の公園に居合わせた男性が、非常に興奮して刃物を振り回しながら「ぶっ殺してやる」と叫んでいる加害者を目撃しているらしい。加害者はバスを待つ小学生の列に近づいて叫んだ後、小学生らを襲撃していったという。事件の前兆はあったということになるのだろうけれど、誰にも岩崎容疑者を止めることは出来なかったのだ…。目撃者によると、加害者は黒のTシャツに黒のジーンズのような服装をしており、スキンヘッドでがっちりとした体形だったという。犯行の直後に自らの首も刃物で刺し、警察に確保された時点で既に意識不明の状態で搬送先の病院で死亡が確認された。両手に柳刃包丁を持ち襲った他に、リュックからは別の包丁2本も見つかった。目撃証言によると、加害者は当日7時頃に自宅を出て近隣住民に「おはようございます」と挨拶した後、登戸駅まで電車で向かい、そのまま事件現場へ歩いて向かい突然犯行に及んだとみられている。

岩崎容疑者の、事件を起こすまでの生活としては、まず岩崎容疑者は51歳だったという。年齢だけみれば、社会でそれなりの役職に就いてまだバリバリ働いている人達のイメージがある。しかし岩崎容疑者は、ひきこもりであったと報道されている。自宅では伯父夫婦と同居していたようだけれど、トイレや食事のルールを作り顔を合わせないようにしていたようで、長らく引きこもりを続けていたことが分かっている。また、自室にはスマートフォンやパソコンなどの電子通信機器は所持していなかったようで、インターネットに接続する環境自体がないことも判明している。外部との通信をしていなかったと推定されているようで、交友関係も未だ確認されていない。更に、10年以上にわたり医療機関を受診した形跡もないことが確認されている。10年以上もだ。驚くべき部分だ、と私は思う。ただの内科でさえ受診していなかったのだろうか?また、猟奇殺人や大量殺人を掲載した、10年以上前の雑誌が2冊自宅から押収されている―だからといって、犯行に繋がったと考えるには浅はか過ぎる気がする―。他にノートも押収されているが、正の文字で埋め尽くされていたり、単なる言葉の羅列のような意味不明な内容しか書かれておらず、事件の動機や計画や自殺願望などの犯行の動機に繋がるような文章は全く確認されていない。しかし、明らかに、そのノートからは精神の不調を―或いは精神疾患を―患っていたのではないかという匂いがする。岩崎容疑者がそこまで社会的に追い込まれ、今回の事件を実行に移した理由の核心には、まだ誰も足を踏み込めてはいないみたいだ。考えようによっては、一番の被害者は、容疑者であったかもしれないという予感がする。だからといって、殺傷を犯した容疑者を擁護するとか許すというわけではない。けれども、人の想像力を最大限まで活かすとすれば、岩崎容疑者も、人を殺めなければ、自身を殺めなければいけないほどに追い詰められていたのではないだろうか?正解は何処にも見えないが、容疑者死亡のケースは、いつもニュースを見ていて居た堪れない気持ちになる。被害者や遺族親類達は、今後どんな心持ちで生きていけばいいのか。亡くなられた被害者2名の魂は、供養されても救われるのだろうか…。

さて、この事件に少なからず影響を受けたとみられている、元農水次官の息子刺殺事件について語るとすれば、容疑者になってしまった元次官の肩書きを抜きにして話を進めたいと思う。何故なら、この事件は誰でも陥る可能性のある事件だからだ。決して今回のケースは稀じゃない。親がひきこもりの子供から家庭内暴力を受けて、それを苦に子供を殺害してしまうなんてケースは、今までにもよくニュースで報じられてきたでしょう。今回のこの事件の問題は、容疑者の元次官が、先に記した川崎20人殺傷事件の報道を見て、殺害に及んだと、供述している点だろう。

6月1日、熊沢元農水次官は、東京・練馬区の自宅で44歳の長男、英一郎(44)さんを包丁で刺し、殺害したとして逮捕された。殺害の動機の一部として、

「川崎20人殺傷事件の報道を観て、息子もいつか人を殺してしまうかもしれない、と思った」

というようなことを話しているのだとか。報道では、元エリート官僚が息子を殺害、とか、川崎20人殺害事件と関連付けされたりだとか、

「ひきこもりは犯罪者予備軍だ」

といった、偏った報じ方をされているようだけれども、うつ病でひきこもりを経験した当事者の私としては、報道の情報操作と誤りが顕著に現れているな、と感じました。

まず、川崎の事件の容疑者・岩崎と、元次官の息子を、同じ〝ひきこもり”として扱ってはいけないんじゃないか、と私は感じました。何故なら、岩崎容疑者は、他者との一切の関わりをシャットアウトした生活を送っていた〝異様”なひきこもりだったということと、元次官の息子はそれとは違って、ちゃんと親とコミュニケーションが取れていたひきこもりだった、という点じゃないかと思う。何故、元次官の息子に対してはそう感じるかというと、元々一人で暮らしていた英一郎さんは、近隣住民との些細な、しかし起こりやすいトラブルをきっかけに、実家に戻って生活をしていたからだ。岩崎容疑者のような〝異様”なひきこもりだったなら、まずトラブルがあろうと、両親を頼ることはしないだろうからだ。ここで第一ステップである、「親族に頼る」ことが出来ている。一人暮らしをしていた間も、両親からの仕送りがかなりの額、あったようであることからも、肉親との繋がり、及び他者との繋がりが欠如していなかったことが伺える。また、英一郎さんは、ネットゲームやTwitterなどでも外界と、ある意味では社会との繋がりは―限りなく最小限だったとしても―保っていたのでしょう。元次官達ご両親の居る実家でも、英一郎さんは2人とコミュニケーションを図っていたようです。それは、〝暴力”という形を呈したコミュニケーションであったものの、彼なりに親と関わりを持とうとしていたかもしれないのです。また、元次官達ご両親が、介護ヘルパーのサービスを受ける際に、お2人はひきこもりの息子が、他人が家庭内に入り込むのに対して、過剰に反応するのではないかと、地域の精神保健センターに相談に相談をしたらしいのですが、そこで

「まずは手紙のやり取りから、コミュニケーションを図ってみてはどうか」

といったアドバイスを受けたようです。そしてお2人はアドバイス通り、英一郎さんの部屋の扉の前に手紙を置いてみたんだとか。するとすぐに、英一郎さんは直接ご両親お2人に、言葉で自分の気持ちや意見を話したようなのです。

「自分は今の生活に納得し、満足しているから、なにも言わないで欲しい」

といった内容のことを、彼はご両親にきちんと話せていたのです。ちゃんと、自分の意見が伝えられたんです。ここが、川崎の事件の容疑者とは全く違う点だと、私は思います。英一郎さんは、ただのそこらへんにいる、コミュニケーションの取り方が極端に不器用なだけのひきこもりだった。現に、手紙を渡すというご両親からの歩み寄りにもちゃんと答えているし、介護ヘルパーが家庭に介入しても、それに関してはなにも危害を加えなかったんです。この英一郎さんと、川崎事件の容疑者を、同じ〝ひきこもり”として一纏めにして考え、〝ひきこもりは犯罪者予備軍だ”と報道するのは、偏っているのではないかと、私は思います。確かに、英一郎さんの家庭内暴力は度を越したものだったかもしれませんが、手紙のやり取りが成功したように、まだ、福祉や第三者の力や介入があれば、いくらでも、改善できたケースだと思うのです。親の手で殺してしまうという最終手段に移すには、まだ早すぎたのではないでしょうか?元エリート官僚の犯行だからどうとかではなく、また、川崎20人殺傷事件の報道が引き金だったからどうとかでもなく、英一郎さんは、ただただ、父親に見捨てられ、殺害されてしまった、〝被害者”なのだ、ということに、何故誰もフォーカスしないのか?何故ひきこもりだからと、一纏めにされ、〝犯罪者予備軍”だと非難を受けなければいけないのか?そこには誰もフォーカスせずに、残酷な報道が続けられていることに、何故こんなにも誰も疑問視していないのか?そういう部分に、この2件の事件の核心―行き過ぎた報道の情報操作や伝達の過ち―はあるのではないか、と思う。

ひきこもりは一時期から、社会問題としてメディアで取り上げられるようにはなったけれども、具体的な解決策を、未だ日本中が探り中だという印象がある。そんな中で、親がひきこもりの子を殺害してしまうケースは今でも無くならない。そこで、発想を転換して、

「ひきこもり当事者だけが問題なのではない」

と、何故考えられないのか。それこそが、真の社会問題だと、私は思う。

親や親類から殺傷されるひきこもり当事者も、誰からも支援を受けられず苦しい思いをしていたかもしれない。また、殺傷事件を起こしてしまうひきこもり当事者もそうだとは言えないだろうか。何故外界とのコミュニケーションをシャットアウトしてしまったのか、何故誰もそれを改善させてあげられなかったのか、何故犯罪に手を染め、最期には自殺という最終決断を選ばせてしまったのか―。犯罪者を擁護する訳では決してないのだが、日本人全体の意識改革を行わなければ、悲劇は無くならないのではないか、と私は思うのです。

最後に、川崎20人殺傷事件で亡くなられた被害者とその親族・関係者の方々、そしてこんな結末で亡くなられた英一郎さんに、ご冥福をお祈り致します。

2019年 6月4日  当麻沙奈恵

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