『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』―第一章.05

さて、責任をもって連れて帰ると断言したものの、私の親はきっと、動物を連れて帰ることを許さないだろうな、ということは薄々考えていました。けれど私は、落雷の方を直感で信じたのです。〝この子だ!″という強い感覚。一目惚れしたのだと思います。しかし、発見者ではない私がずけずけと、連れて帰るなどと言ったばかりに、またいじめっ子の女子達に酷い仕打ちを受けます。最初、子猫を段ボールに入れて、私の机の椅子の下に置いていましたが、あまりの可愛さに、いじめっ子達は、子猫を抱かせろ、抱かせろとずいずい押し寄せてきました。
「弱っているかもしれないから、あまり触るのは良くない」
と私が言ったにも関わらず、いじめっ子の女子達は、子猫を私の椅子の下から奪いあげ、休憩中、ずっと何人かの女子が、まるでドッジボールの球のように、震える子猫を回して遊んでいました。それがとても怖かったのでしょう、子猫はそれから死ぬまでずっと、人に抱きあげられるのが苦手になりました。また、いじめっ子達は、私をベランダへ呼び寄せ、輪になって囲み、暴言の嵐を、私に降りかけました。

〝お前の家は貧乏だから、子猫は飼えない″
〝お前では飼えない、いじめて死なせてしまうだろう″
〝お前の母親は障害者で、家が貧乏だから、いつか猫を捨てるに決まってる″
などといった、私の家庭についての暴言だけでは飽き足らず、
〝お前は風呂にも入らないから汚い″
〝汚い手で猫を触るなよ″
などといった、私に対する有りもしない悪口まで言ってくるようになった。しかし、私はだからといって、いじめっ子達に子猫を渡してしまう気は更々無かった。
〝この子を悪の手から、護らなければ…。″
そんなふうに強く思っていた。私は黙って子猫を取り返し、すぐさま担任教師に、子猫がたらい回しにされていて可哀想だということと、ベランダで言われた悪口をすべて話した。後々、そのいじめっ子達のうちの一人が廊下へ呼び出され、教師から叱られたようだった。そんな流れの中で、偽善者ぶった女子も現れた。同じ美術部部員の女子だ。その女子は、こう言った。
「なにかあったら私が助けてあげるよ。家で猫が飼えなくて里親が必要だったら、すぐ私に言ってきてね。私の家で飼うか、里親探しを手伝ってあげるから。」
私はこの時、この女子も他人を蹴落とすいじめっ子気質の人間だとは、露ほども知らなかったので、その言葉を真に受けて信じてしまった。しかし、彼女が自身の言葉を全否定して、掌を返すのは翌日のことだった。
やはり、両親は私が子猫を連れて帰ったことを、良く思わなかった。体育教師が言ったように、元居た場所へ返してきなさい、と最初は言われた。そこで私は追い詰められ、泣きじゃくった。野生の動物に人間の匂いが染みついてしまったら、母親は育児放棄することを、私は知っていたからです。今から元居た場所へ返して、なんになるっていうのだろう。この子はひとりでは生きていけない。だってまだ、母乳が必要なほど小さいのだ。私は母の前で泣きじゃくり、
「いま外へ放したら、この子が死んでしまう!」
と言い続けた。せめて、里親を探して見つけるまでは、家で保護しておきたい、と懇願しました。すると、両親も解ってくれたみたいで、最初は、里親を見つけるまでだからな、と言われていた。そして翌日、例の偽善者の女子に、やはりうちでは反対されたから、里親探しを手伝って欲しい、と頼みました。そしたらその女子は目の色と態度を変えた。
「私の家で飼えるわけないじゃん。うちは父親が厳しいんだよ。それに、うちの学級には、その子猫を飼いたいなんて奴はひとりも居ないと思う。試してみたら?」
と言うのです。どういう意味か、理解出来ないまま、他の同級生に子猫の里親の話をしたら、
「毎日風呂に入らない汚い女が触った子猫だから、里親は断れってそいつに言われてるんだよねえ。」
などと、全員から言われた。味方など、最初から居なかったのだ。私はその女子に、裏切られたのだった。そのことが理解出来たので、私はまた、担任教師に話して、
「だから、明日から学校へは来たくありません。」
と言って、下校し、本当に翌日から、登校拒否をしました。毎日担任から電話があったり、親友が手紙と代筆ノートやプリントなどを家まで持ってきてくれたけれど、2週間ほどは、学校に行かなかったと思う。事情は両親に話したらわかってもらえたし、親からすれば、昼間家事が出来る私が家に居たほうが都合は良さそうだった。そんな日々の中で、子猫を家族として迎え入れ、名前を〝ネオン″と名づけた。学校を休んでいる間は、ちょっとだけ、幸せでした。一目惚れした子猫と朝から晩まで一緒に居られるから。2週間ほど学校を休んでいる間に、なんと担任の女性教師が、〝いじめはよくありません″といった話を何度かクラスで話したらしく、傍観タイプのいじめっ子予備軍だった女子達からは、登校を再開した日に軽く謝罪されたが、顔が嗤っていたので、何も返事をしなかった。そうしてまたクラスの中で、私はどう触れたらいいか解らないような対象になってしまった。私の中での周囲への警戒心や拒絶反応は続いていたし、中学校時代はとても暗かった。と言うか、ここから今の“うつ病”になってしまった私のベースのようなものが出来上がっていったのでは…と今では思う。

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