『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』第1章.17

それからしばらくしたある日、おかしなことが起こった。仕事中、ものすごく激しい頭痛がして、まったくなんにも考えられなくなったのです。こめかみの辺りをぎゅうぎゅうと、血管が伸縮するように、締め付けるように痛み、クラクラとしました。フロアでいま何をしていたら良いのか、まるでわからない。機械の音や光で更に刺激され、どんどん頭痛は酷くなった。そうしながらも仕事やお客さんは待ってくれないので、朦朧としながらその日はなんとか乗り切りました。しかし、タイムカードを切って休憩室に入った途端、「あ、もう駄目だ」と思った。薄暗いロッカーの前で床へ倒れ込み、静かに頭を抱えていました。心配して声をかけてくれた同期スタッフに対して、
「頭が痛過ぎて吐き気がします…。」
と弱々しく答えた。交代で仕事に就いたばかりの夜勤の社員さんに見つかり、
「車で送って行こうか?」
とも言われましたが、申し訳なくて自力で這うようにして徒歩と電車で帰ったのです。
 その日から、ほぼ毎日のように、酷い頭痛、肩凝り、原因のわからない背中痛や胃痛、酷い耳鳴りなどにおそわれるようになった。気が付けば2ヶ月近く、夜はまともに眠れていなかった。ネガティブ思考にばかりはしるようにもなり、
「自分は仕事の出来ない厄介者だ」
「自分なんて居ないほうがいいんだ」
「自分なんか消えてなくなってしまえ」
などとばかり考えるようになっていました。体調が悪過ぎても、メダルコーナーのスタッフ人数は最低限ギリギリだったから、休むのが申し訳なくて休みたいとも言い出せなかった。そんな状態で出勤しても仕事はうまくいかない、けれどマイクはハッピーな感じでやらなければいけない。仕事が終わってロッカー前で頭を抱えて倒れることが増え、社員さんからきちんと病院へ行くことを勧められましたが、もうそんな気力は出せなくなっていました。だいいち、病院と言っても、一体私はどこが悪いのか、何科を受診したらいいのかも、考えられなくなっていました。
そしてついに、仕事中に初めての“幻聴体験”におそわれたのです。
「おーい」と、誰かお客さんに呼ばれたように聞こえて振り向くと、誰も居ない。おかしいな、と思いつつ前に向き直る。また、「おーい」と聞こえて振り返るも、また誰も居ない…。いや待って、おかしい。確かに聞こえたのに。私は辺りをきょろきょろしました。それから、本当に誰も居ないのを確かめて、仕事に戻ろうとした時、インカムをつけていないほうの耳だけに直接、
「おいっ!?」
と見知らぬおじさんの怒鳴る声がしたのです。私はすごく驚いて、サッ!と後ろを見ました。また誰も居ない。いや、待って、おかしい!いま絶対耳元で誰か叫んだじゃない…!なに、これ…!?
私はもう気が気じゃなくて、半ばパニックになってしまいました。そわそわと何度もトイレに逃げ込み、焦りから意味もなく水で手を洗い続け、トイレから出れなくなり、その度にインカムから、
「誰か、カウンターに戻って!」
という指示が聞こえて、慌てて戻りお客さんの対応をするけれど、心此処に在らず状態だった。丸一日、誰かが私の背中に張り付いて、監視しているんじゃないかと思っていました。そうしてまた、「おいっ!」と怒鳴られるに違いない…。やばい、怒鳴られないようにちゃんと仕事しなきゃ…!そんな焦りで辺りをずっときょろきょろしながら仕事をし、何度もトイレとカウンターを行ったり来たりを繰り返して、とにかく冷たい水で手を洗って冷静になろうとしました。けどいくら手を洗っても洗っても、焦りと恐怖感は消えなかったんです。手の甲はいつも真っ赤になっていました。
その次の日、今度は逆に、周りの音がしばらくまったく聞こえなくなるという現象や、目の前がモノクロになって、色が一瞬わからなくなることも起きました。真っ暗なメダルコーナーから、いきなり明るいプライズコーナーに出ると、くらくらと目の前が揺れるような目眩がしたりもしました。相変わらず不眠や酷い頭痛と耳鳴りも続いていましたし、周囲のスタッフさんや社員さんもきっと、何かおかしいな、と思っていたのかも知れないけど、何故だか誰にも何も言われなかったのです。
 そして二22歳の6月、ついに仕事を辞めることになりました。もう限界まで来ていたのです。何故働いているのかわからないぐらいにあちこちがおかしくなっていました。毎日「死にたい」と思いながら電車に揺られて出勤していた日常から、とにかく逃げ出したかった。

それと並行して、仲良くしていた彼と突然連絡が取れなくなってしまった。彼がやっていたブログの最後に、「死にたい」と書かれていたのを見て、仕事終わりに何日も彼の家を訪ねたりしたのですが、応答がなく、そっちに関しても頭の中はパニックでした。
後日、彼は統合失調症を発症したとして、実家のある山口県の病院へ強制入院させられていたことを知りました。彼と連絡が途絶えてから1ヶ月半ほど後に、彼の携帯から、彼のお父さんからメールが届いたのです。息子がご存知の通り発病し、措置入院になりました、落ち着いたら本人からも連絡させるので、どうか待っていてください、と。私はその日、嘘つきバービーというロックバンドのライヴを観に行った帰りの電車の中でこのメールを読み、人目をはばからずに号泣しました。死んでしまったのではないか、と思っていた彼が、生きていた…。それだけで私は、胸を揺さぶられ、電車の中で泣いていました。後日、精神病棟の中の公衆電話から、彼が電話をかけてきてくれた時も、私は号泣しました。また、彼が奈良へ帰ってくるという時にも、すぐさま会いに行きました。生きて彼に会えるのが、堪らなく嬉しかったのです。しかし、彼は激しい幻聴症状は治まったものの、まだその時は統合失調症だという病識がまったくなく、俺は犯罪に巻き込まれているんだ、と話していました。だから、もう一緒にはいないほうがいい、と言われました。私はそんな彼に、きちんとこれからも心療内科へ通院して、治療するようにうったえましたが、そこで彼と意見が衝突して、縁遠くなり、連絡が取れなくなりました。このように、統合失調症を抱えた人に病識を持ってもらうことは、時に難しいことなのです。こちらがいくら、治って欲しいからと、通院や治療を勧めても、かえって本人を苦しめる場合もあるのです。この時はじめて、統合失調症という病気の難しさを知りました…。
この時は彼と疎遠になったことがとてもショックでしたが、後日談ではありますが、最近彼のほうから連絡があり、また彼とTwitterを通じてやり取り出来るようになりました。それまでの数年間は、彼が何処ででもいいからどうか生きていて欲しい、と強く願っていました。また連絡を取り合えるようになって、この数年間、やはり入院していたと聞かされて驚きつつ、しかし今の彼はきちんと病識が持てているので、安堵してもいます。そんな後日談をこうしていまここでこうして綴れていることを奇跡に思います。

さて、話は戻ります。私は仕事を退職してすぐに、心療内科を受診しました。後先も考えられない状態で突発的に無職になってしまったのだけれど、手元に残ったお給料でとにかく病院へ行こうと思ったのです。自宅から近くで口コミなどを参考にして、何件か電話をかけるも、なかなか予約がとれなかった。どこへかけても、予約が数ヶ月待ちと言われるばかりだった。どうしてどこもすぐに診てくれないの?!私いま死にたくなってるのに、何ヶ月も待てない…!!そんな気持ちで縋るようにして電話したある病院で、「3日後に来てください」と言われて、とにかくその病院へ行くことにしたのです。
こうして人生初めての心療内科受診をすることになった。当日はそわそわしながら病院へ向かいました。その病院は、自宅の最寄りの駅から何駅も離れたところにありました。電車内での長い時間も、その時には苦痛に感じられました。早く、すぐに電車を降りたかった。
やっと病院に着き、中へ入ってみると、そこには待合ロビーのソファーがほとんど埋まるくらいの患者さんでいっぱいだった。そのことに、単純にびっくりした。何かしらの悩みや病気を抱えた人が、こんなにも居るのかと驚いた。なんとか一人分、席が空いていたので、受付で手渡された問診表に記入することにしました。それには、過去に利用したことのある「うつ病診断」と似たような項目がありました。項目にはかなり多く当てはまりました。最後の欄に、
「本日はどのような症状で来院されましたか?」
という項目があり、私はそこに、ここ数ヶ月不眠が続いていたこと、体調不良の数々、死にたくなってしまうことなどを記入しました。しばらく長い待ち時間があり、その後、診察室の扉が開いて、名前を呼ばれました。主治医は、私の年齢から言うところの“おじいちゃん先生”だった。咄嗟に私は「なんか、頼りない感じ…」と思ってしまった。診察室では、主治医と対面に座らされるのですが、思っていたより距離が近くて、私は無意識に居心地の悪さも感じていました。
さて診察が始まったのだけれど、主治医のおじいちゃん先生が、問診表の内容を読み上げ、家族構成や職業の有無を尋ねられ、最後に
「はい、じゃあお薬出しておきますね」
と言われました。あれ?これで終わり…?他にもっと何か、ないの?と私は疑問に思った。当時の自分の状態が、異常なのか、考え過ぎなだけなのか、はたまた病的なものなのかというようなことを聞きたかったのに、なんにも言われずに診察が終わったので、なんだか良く分からないまま、診察が終わってしまいました。いま振り返れば、あの時は「死んでしまいたい」
とばかり考えながら受診したので、言うまでもなく酷い顔をしていただろうから、初回なのもあって何も言わずにとにかくまずは薬を飲んで夜眠れるようにしてからでないと話が進まなかったからかも知れないな、と後々思いました。

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