『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』―第一章.04

中学生になり、男子と張り合うほど活発だった私は、思春期に入ったせいなのか、一気に人間不信に陥りました。違う小学校から同じ中学校に入ってきた見知らぬクラスメイトが、怖くて堪らなかったのです。共に絵を志していた彼女は、私立中学校を受験したので、別々の学校になりました。もうひとり、小学校低学年から現在まで仲良くしている親友の女の子としか、ほとんど交流しなくなりました。何故って、まず、見知らぬ女子は性格もやることも見た目もませていて派手で目立っていたし、流行やメイクなどといった話でもちきりだったのです。少年漫画と小説ばかり読んでいた私には、別世界の生き物のように見えました。派手な女子たちが何故ひと塊で群れて騒ぐのか、理解が出来なかったのです。また、男子はと言えば、急に性に対する発言を大声でするようになったので、私はそんな男子たちにも、無意識に嫌悪感を抱きました。下ネタなどをオブラートに包まず、授業中だろうが休憩中だろうが大声で騒ぐ男子が、当時の私には理解出来ませんでした。そして、違う小学校からやってきた男子から、悪口や陰口を言われる対象にされました。クラスメイトに馴染めず、ひたすら机に突っ伏して絵をガリガリ描いていた私は、男子からは異質に見えたらしく、絵を描いていると、よく馬鹿にされました。同じ小学校だった男子たちなら、私が漫画家を志していることは承知していました。しかし彼らは、別の学校から来た男子たちに、あっさり迎合して、途端に私を馬鹿にするようになったのです。その姿に私は半ば、裏切られたような気持ちになって、もう親友以外、誰も近寄せないように、〝無言の壁″を築きあげました。誰からどう悪く言われても、微動だにしないで済むように、怯えていると、察されないように、弱みを見せないように、動揺しても、気付かれないように…。

またしても私は、祖父からの精神的虐待を受けた時のように、身も心も固く閉ざす道を選んでしまったのです。それにより、人間不信と仲間はずれ感は深刻なものになっていきました。ただただ、親友は私の心の許せるただひとりの話し相手でした。親友も、どちらかと言えば控えめな性格だったので、あまり周囲に対して交流を深めることには積極的ではなかったので、ほとんど常に私と一緒にいました。心を許せる親友が居たこと。それがある意味私にとって、大きな救いになっていました。
周囲と上手く溶け込めない中、何と更に酷いことが起きます。同じ小学校出身で、私をいじめていた女子や男子達が、私を嫌なあだ名で呼んでいること、私がどれほどいじめられっ子だったかを周囲に言いふらしたのです。これにより、新しいいじめっ子が増えて、それ以外の、所謂〝外野″〝野次馬″な女子達は、私の状況を見て、解っていながら、尚も傍観精神で、嗤っていました。そして気まぐれに、いじめっ子の輪の中に入って、いじめっ子に加担しつつも、手は汚さないようにしていました。なんてことだろう…。私は絶句し、周囲と仲良くしようということを諦めました。それでも、うちの学年は荒れていたので、隣のクラスでは、美術科担当の女性の担任の先生をクラス全員でいじめて、授業もボイコットして、結局その優しくて生徒にきつい注意が出来ない先生は、私達が2年生に進級するよりも前に、早々に教師を辞めてしまいました。私は美術部だったし、その先生が好きだったので、とても残念でならなかった。そういう意味では、うちのクラスのいじめは、まだレベルの低いものだったのだろうけれど、私の精神の首を絞めるのには充分だった。人間不信に陥るには、充分過ぎました。
そして2年に進級した年の7月、私にとある衝撃的な出会いがあった。
体育の授業が終わる頃、他のクラスの学生が、校庭で子猫を拾ったのです。白くてふわふわしていて、まだ幼く、瞳は子猫の時期だけに見られるキトゥンブルーで、とても震えていた。親からはぐれたのか、誰かが捨てていったのかはわからなかったけれど、私のハートを射抜くには充分な可愛さだった。ああ、この子だ、と思った。体育の担当教師は、
「元居た場所へ、戻してきなさい!」
と、冷たくその学生に言い放ちました。私は、
「この子を、護らなければ…!」
と咄嗟に感じて、体育の教師に、
「私が責任をもって連れて帰ります。だから、教室へ連れて行かせてください。」
と進言しました。すると、その熱血系教師は、教室に連れてあがるのを、許可してくれたのです。これこそが、私の生涯の中で、落雷が頭に落ちたような大きな出会いであり、この子猫が、後々多く登場する、オス猫のネオンさんです。しかもこの日は、私の母の誕生日だったのです。


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