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白さんに作文の書き方を教えてもらい思い出したこと【息子の転院】

読書KIDS親の会でご一緒させていただいている、国語教師の白さんが、まねび茶屋のために、作文の書き方についていくつか記事を書いてくださいました。

先生目線で「どのような作文がキラリと光るか」を書いてくださり、説明もわかりやすいので、改めて読み直していたら、ある場面を思い出したので、書いてみました。

白さん、書き出しを工夫して(白さんの記事を写しただけ)、瞬間を切り取り、どのように自分が変容したかを書いてみました〜。

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1

「ほうと長いため息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。」

私はそう呟き、病院から駅に向かって歩き始めた。小さな息子のために、別の病院への紹介状を手に持って。

2

「次男くんと同じ病気のお母さんがいるの。会ってみない?」

長男の幼稚園のママ友から声を掛けられた。いつもの私なら、面倒なことはスルーするのだが、なぜかその時は、会った方が良い気がした。

3

「初対面で失礼だけど、今の病院で大丈夫ですか?〇〇症候群なら、東京なら〇〇病院、大阪なら〇〇病院に専門外来があります」

スターバックスでそのお母さんとお茶をしたときに言われた。その人は、世間話をすることもなく、「体調があまりよくないから」と早々に帰っていかれた。次男の病院のことが心配で、それだけを伝えたかったのだと思う。

専門外来のことは気になっていたが、その後、数ヶ月くらい、私たちは転院に踏み切れずにいた。当時の病院でも大きな問題は感じていなかったし、転院すれば、ただでさえ通院や検査で疲れている当時4歳の息子にさらなる心理的・肉体的負担が掛かるからだ。

それに、生まれた時からお世話になっている当時の主治医や病院と気まずくなるのも怖かった。

迷っているうちに、次男が重度の肺炎にかかり、入院した。入院中に悪化して、ICUに移った。

先生や看護師さんはよくしてくれたけど、素人ながらに“先生たちは判断に迷っている。常に判断が遅い”という印象を強く持った。次男のことが手に負えなくなっている気がした。

“この肺炎が治ったら、転院しないと、息子は危ない”と直感した。

「東京の〇〇病院には○○症候群の専門外来があると聞きました。そちらに移りたいので紹介状を書いていただいてもよろしいでしょうか。」

肺炎が治り、退院した後、主治医の先生に恐る恐るお願いした。私の予想に反して、先生はあっさりと、

「そうですね、あそこは専門外来もあり研究が進んでいます。僕もそれが良いと思います」

と言った。

“おいおい、専門外来のこと、知ってたなら早く教えてくれよ”

と思った。

当時の私は、知らなかったのだ。

病院や役所というところは、そのようなことは教えてくれないこと。全部、自分で調べて自分で行動しなければならないことを。


かつての主治医からの紹介状を手に持って、長くお世話になった病院を出て、最寄り駅に向かって歩き始めたとき、

これからは自分で考え、自分で調べ、自分で行動するのだ。

という力強い思いが急に湧き上がってきた。

「こんなに重症なんだから。大変なんだから。公的機関や病院の人が教えてくれるはずだ。誰かが助けてくれるはずだ。」

という甘えと

「こんなこと言ったら、相手に迷惑かもしれない。相手が嫌がるかもしれない」

という遠慮は、

駅までの帰り道にそっと置いてきた。

その後、次男は、教えていただいた病院に転院、即、手術した。これ以上、転院が遅れていたら危なかった。

スタバで会った次男と同じ病気のお母さんは、次男の命の恩人だった。その後、一度もお会いしていないが、感謝しかない。

(その方を紹介してくれたママ友も息子の恩人です。本当にありがとう。)

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