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私の中国語勉強日記①

こんにちはねこです。

中国語の勉強を始めました。(実はn回目)

私純日本人なんですけど、台湾の帰国子女であります。
しかし、中国語は全く話せなかった劣等感の塊でした。(てか現在進行形)

親子代々、三日坊主万歳、私も血に抗えなかったということで、今回は勉強記録をつけてみようと思いました。

これまで中国語を勉強してきたわけなんですけど、いつ何をしてきたか、(個人情報は開示しない程度に)この機会に年表作ってみました。

〜年表〜

第1回目 台湾転勤と中国語の出会い

中学生2年生で父の仕事の都合で初海外転勤。台湾の日本人学校に転校しました。当時某都立高校への進学を心に決めて観光そっちのけで毎日日本人向けの塾通いしていました。中国語教室に1年通い、学校でも週一の中国語授業、外はリスニングし放題の神的環境にも関わらず、ちゃんと覚えたのは「珍珠奶茶、中杯,去冰,無糖」(タピオカミルクティー、Mサイズ、氷なし、砂糖なし)のみ。この数年後に日本でタピオカブームだったので、あの時本場のタピオカ極めてたら儲けられたかなーと思ってみたり。この時入試のために中国語検定準4級合格。この結果に数年後後悔するとはつゆ知らず…

第2回目 春休みなのに二週間の猛勉強

無事志望校に合格して、日本に帰国したわけなんですけど、中国語は全く話せない劣等感で、台湾に住んでたことを隠して高校3年間過ごしてました。ところが推薦入試の時に台湾帰国子女ネタを使うことになり、晴れて合格したものの、忘れようとしてた「帰国子女劣等感」みたいなものもカムバックしました。父もまだ台湾に赴任中だったので、チャンスだ!と思い、センター試験を受けた次の日から二週間、父が教わってた中国語の先生の元、台湾の語学スクールで勉強することにしました。
初日中国語の先生と教室に向かうエレベーターに乗った時、
先生「中国語どれぐらい勉強してたの?」
私「?(やべっ)」
先生「何歳の時台湾にいたの?」
私「?(早くてわからないんご)」
先生「誕生日はいつ?」
私「あー…うー…(これは聞いたことある)」
先生「今何時何分?」
私「19日???(日にち聞かれたと思った)」
同じ空間にいた台湾人数名からも「こいつやべえ…」という目を向けられたのを鮮明に覚えています。

勉強はまず初日に注音(ㄅㄆㄇㄈ←こういうやつ)25個覚える宿題を「ひらがなは50個あるんだから半分だし楽勝っしょ!」という激励とともに出されました。(のちに台湾人を震え上がらせる良い話題になった。)なんとか初日で覚えて、2日目には教科書がちょっと読めるようになりました。
基本的に教科書に沿って自己紹介とか覚えていったのですが、ここで一番勉強になったのは、【毎回授業始めに「これって中国語でなんていうの?」と先生に質問していたこと】でした。
例えば、その日授業前に道に迷ったら、「道に迷ったってなんていうの?」って質問して、先生に教えてもらったら例文を自分で作ってその日あったことを話す。家に帰っても、観光しても常に「知ってる単語を使って中国語で考える」。
単語力はエレベーターの会話からもわかるように「皆無」だったのですが、とにかく覚えたことは0.5秒後にアウトプット!!というのが功を奏したようで、二週間後帰る頃には、「文法分からないけど会話はできそうだじょ、あはは」という程度になっていました。
この時私は、単語力初級、文法力入門、自信上級者レベル。

(長くなったので次回に続く)


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