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パイセンから徳田への、とりとめのない文章

仲間がまた1人、会社を去った。2年共にに働き、困難を乗り越え、喜びを分かち合い、何より僕自身が助けられた徳田さんが(以下、徳ちゃん)。

以前、noteで書いたが僕は休職をしていて、そろそろ復職しようかなとslackを開いたら、徳ちゃんからDMが届いていた。

「相談したいことがあるんで、ちょっと時間良いっすか」

こんなメッセージだったように思う。「なんだろうか」と訝しんでいたら、パブリックチャネル(slackでは利用者全員が閲覧できる部屋みたいなものがある)で「退職の連絡」という投稿があり、このDMは「相談」というよりは「報告」要素が強いんじゃね?そう思った。

後日、2人で八丁堀のワインバーで会うこととなり、僕はよろよろと身体を動かし、徳ちゃんを待った。見事に待ち合わせ時間に遅れてきた。この野郎。

お互いの顔が認識できる距離まで縮まった時、なんとも気まずそうで、何話そうかな、うーん、まあとりあえず飲もう。

そんな雰囲気を徳ちゃんから感じ、僕も別に重い話する予定も無いし、その点では一致だね!なんてことを思いながら、狭い階段を3階まで上り、久しぶりのワインを2人で楽しんだ。

思い出話に話を咲かせるというよりは、今回なんでそういう決断に至ったのか、抱えていた悩み、僕の近況、これからどうしていこうかというキャリアの話など、話題は多岐に渡った。

そんな中でも、僕の体調をチラチラと観察し、会話の間を作ってくれたり、気遣ってくれる彼の優しさは、相変わらずそこにあって、とても助かったし、なによりもありがたかった。

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2年前の夏、僕らはまだ三田駅が最寄りの狭いマンションの1室で働いていた。基本的に社長と僕、たまに業務委託のスタッフが来る程度。僕1人の日もあった。

ある日、別室で面接を終えた社長が、「ちょっと良いかも!良い人来た!」と執務スペース(といっても普通の部屋)に登場したのだ。

「お、良いじゃないですか。どんな人ですか?」

「元々クリニックでカウンセラーとして働いていて、臨床心理士で、若くて、やりとりも丁寧で、なんでもやります!ってやる気もあるんだ!採用しようと思ってどう?」

当時の会社の状況からいって、変化に耐えうる柔軟性と、なによりもカウンセリング自体への理解やその必要性、自分なりのサービスに対する想いがあれば、大歓迎だったのだ。そして、最初期のスタートアップにおいては「なんでもやります」は割とありがたいし。

僕は「良いんじゃないですか。年齢も若いし」

晴れて、彼は僕らの仲間となった。

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今、入社した当時の徳ちゃんを思い返すと、「今と髪型かわんねーな」ということが1つ、もう1つ、とても成長したな。という思いがある。

月に一回は表参道に散髪へ行き、室内の埃に過敏でよくくしゃみをし、そしてよく食べた。

クリニックという環境からスタートアップへ。たぶん、日々の業務のやりとりのスピード、フォーマットが決まっていない業務の依頼、曖昧模糊としたものを形にしていくこと、などなど全てが新鮮で、それに対応するのも大変だったんじゃないかな、と思う。

そして、実際「あ〜わかんね〜なにこれ?」「疲れた〜」と素直に感情を吐露する徳ちゃんを、僕はとても好きだった。

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徳ちゃんは、カウンセリングというものをもっと身近な存在にしていきたい。そんな想いを抱えながら働いていたように思う。理屈をこねくり回すわけでもなく、空中にふわふわと浮いて理想に浸るわけでもなく、クリニックという現場で見た現実をベースに、地に足をつけつつ、シンプルな想いを大切にしていたと思う。

口癖もそうだった。社内で議論が空中戦になるとき、理屈っぽくなるとき、徳ちゃんは「もっとさ〜シンプルに行こうよ。大事なことはいつだってシンプルなんだよ」

おっしゃるとおり。毎度毎度そう思った。

そして、徳ちゃん自身、シンプルに生きようと工夫をしていたように思っていたし、地に足をつけながら生きていこうとしている姿に、僕はいつもホッとさせられた。

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ある日、徳ちゃんが運営サービスの責任者に指名されたことがあったね。中心は徳ちゃんで、やっていこう。と。その時、不安そうな顔をしていたことを覚えているかな。

その後、メンバーと会議をしても、業務をするにしてもどこか不安そうで、珍しく元気がなかった。おかしいなって、思っていたよ。

1ヶ月位経過したある日、そろそろ徳ちゃん終業かな、という頃合いを見計らって僕も日報を出し、サシ飲みに誘った。焼き鳥屋だった。

「最近、どう?」

「うーん、カクカクシカジカで…」

「そっかー」

お互いビールに夢中で、話が霧散していく。しかし、どうやらビジネス経験が浅い徳ちゃんにとって、チームメンバーの会話についていくこともままならないし、不安で仕方ないし、悔しい。といった思いが、モヤモヤにつながっているらしかった。

僕はその時、こんなことを伝えた気がする。

「ビジネス経験が少ない、という点に着目するのではなく、社内で一番カウンセリングに精通していて、カウンセラーさんの立場、カウンセリングを受ける立場から、ビジネス的な考え方に対して、良い意味で『水をさせる』のが徳ちゃんの強み」

それで徳ちゃんは「ちょっと自信がつきました、吹っ切れました」と言った。僕は嬉しかった。

それから、彼はちょっとづつ変化していった。主張も強くなったし、メンバーに気後れすることなく、会議に臨んでいたし、自信がついたようだった。

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僕のメンタルが不調なとき、とりあえず徳ちゃんにDMを送って、話を聞いてもらっていた。ときには「希死念慮が強くて…」という重い話だって彼にはできた。

メンタルが落ちているとき、そういった重い感情を吐露できる相手がいることは、とても大切で、大げさな例えだけれど「蜘蛛の糸」なのだ。

毎回毎回、心では「業務外にごめんよ〜すまんな〜」と思いつつ、僕は彼に甘えた。

ある日、危機的に調子が悪くて、会社を休んで、徳ちゃんにまたメッセージを送った。そのときに言われたことが「パイセンのチームに対する想い、皆に対する想いは伝わってますから。」「一緒に乗り越えていきましょう」だった。

35歳の僕は、スマホ越しに泣いた。僕が今一番欲しかった言葉が、スマホの画面にあったから。

僕が何より欲しかったのは「地味な僕の仕事や想いをちゃんと見てくれて、受け取ってくれている人がいたんだ。」ということを感じられる「言葉」だったのだと、その時思ったのだ。

当時は「孤独感」や「不全感」に苛まれていた僕にとって、それは心にじんわりと拡がる暖かかな雫だった。

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こんな日もあったね。僕が下の喫茶店のベンチでタバコを吸っていると、徳ちゃんがやってきて、隣に腰掛ける。少し間が空いて、「最近どうすか?」と話し始める。

「うーん、疲れてるな」とか「ぼちぼちかな」とか、少ないやりとりのときもあれば、「組織をこんなふうにしていきたいよね」と熱を帯びるときもあった。

そんな時間を、勝手に「徳田時間」と名付けつつ、「ここ最近は多いな」「最近少ないな、ちょっと寂しいな」なんて思ってたよ。

僕にとって、それは「徳ちゃんと一緒に物語を作る」上で楽しい時間だったし、どこか癒やされる時間だった。

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徳ちゃんが退社を決めたと聞いた時、やっぱり悲しかったし、寂しいな、という感情が湧いてきた。スタートアップでの2年は濃密でもう5年も10年も一緒に働いてきた感覚があるだけに、その思いはひとしおである。

なんかこう、去っていく仲間に対して、もっと具体的に「論理的思考力があがったよね!」とか「目的思考が強くなったよね!」とか、褒めるnoteやメッセージを送ったり、「先に進むから去る人のことは構ってられない」とコミュニケーションをまったく取らなくなったり。

まあ、去る人に対する対応は人を表すものだな、と思いつつ、僕は、確かに徳ちゃんと僕、徳ちゃんと皆の間には物語が存在し、それは忘れない。ということを僕は伝えようと思ったんだ。

そして、その悲しさや寂しさから目を背けずに、また違った形で物語を紡いでいきたいと。

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去る理由はどうであれ(内緒だよ)、僕は徳ちゃんのこれからを僕のできることで応援したいと思っているし、助けが必要なときは遠慮なくメッセージを送ってほしい。

現に、今、彼の新しい名刺とロゴを製作中だ。

僕が発表して良いのかわからないけど、屋号は「Assemble」。

意味は「集める。組み立てる。集まる。」だ。

機械的ではなく、人の手をつかって1つのものを組み立てていく、その袂に人が集う。そんな温かみのある単語を選んだのだなと、徳ちゃんらしいなと。

これから、どんな物語を徳ちゃん紡いでいくのか楽しみだし、いつだって徳ちゃんにとってのパイセンでいられるように、僕も物語を紡ぐことを諦めずに、今日を生きていこうと思うよ。

本当に、お疲れ様。そして、ありがとう。徳ちゃんと物語を紡ぐことができて、僕は幸せだった。

また、FacebookのMessengerでロゴ案送るから、ちゃんと見てくれよな!そしてビール奢ってくれ!



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