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あの景色が愛おしくて

私は、幼少時代、父親が転勤族だったため県内を転々とする生活を送っていた。

今思えば「県内」での転勤など、大した距離ではないと思うが、あの頃は、もう戻れない「見知らぬ土地」に私の意思など関係なく強制移動される理不尽さと、友達との別れに、少なくない寂しさと悲しさを憶えたものだ。

大人になり、自分の意思で移動できる範囲は「世界」へと拡がった。そのうち、行きたければ宇宙にだっていける世の中になった。

自分の知らぬ世界に身を投じるのは、いつだって、少しのワクワクと、少しの不安が入り交じるが、いつだって、「行ってよかった」という少なくない興奮が全身を駆け巡る。

初めて海外旅行したときも、結婚式で行ったハワイも、それはそれは素晴らしい体験だった。

しかし、あの頃感じた興奮とは、質が変わってきてしまったように思う。

私は、とても活発な子供で、外の世界、まだ見ぬ世界への渇望が抑えきれず、親の目を盗んでは、どこかへと足を運び、怒られる。そういった毎日だった。

自転車に乗れるようになってからは、距離にして1km先の街だって、僕にとっては「冒険の世界」だった。

あれは、当時住んでいたアパートに面する小さな通りを南下し、道沿いの小さなスーパーマーケットを左折したところにあった。

いつも通っていたそろばん教室を少し先に進んだだけの、小さな距離。

息を切らし、目を見開いた。

左手に伸びる下り坂。眼下に拡がるのは、すり鉢状に拡がる家々。まるで、太古の昔、この場所に隕石でも落下したのでは無いかと思われる、谷状の街は、雲間からのぞく夏の日差しに照らされ、強烈なコントラストを纏っていた。

私にとって、あれこそが、最初の「異世界」だったように思う。

どうしようもないドキドキと、これほどまでに多くの家々に人が住まい、それぞれの生活が輝きを放っているような、そんなことを感じて、世界の広さと、その美しさに、しばらく茫然自失としていたように思う。

見たことの無い家、見たことの無い駄菓子屋、見たことのない道々、見たことのない人。そして、感じたことの無い空気がそこにはあった。

大人になるにつれ、様々な知識が増え、「情報を見る」。そして、そこから解釈されたものが身体に落とし込まれていく感覚を憶える。

しかし、当時は、その逆だったように思うのだ。

まっさらな頭と純粋な好奇心が、強烈な興奮に身体を貫かせたのだろう。

その記憶が、大人になった私へ、まだ見ぬ先へと、促すのだ。

いつかまた、あの景色と出会えることを信じて。

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