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①自称カサンドラ先輩

職場でのカサンドラ回顧録

ある日入社してきた後輩との数年間を思い出しながらつづります。ある日涙が止まらなくなり、産業医からは「カサンドラ」と言われた自分。まだ薬は飲んでいます。反省会で次につなげたいと思います。


非常にざっくり言うと、40歳近い中途入社の後輩の面倒を任せられて数年後、自分は適応障害になって会社に出社できなくなりました。会社との戦いおよび数年の在宅勤務を経て転職することになります。


後輩が入ってきた1日目、彼の印象は「表情が乏しい」でした。自分だけではなく、周りの数人の社員も口をそろえていました。実際に話してみると第一印象とは全く逆で朗らかな彼でしたが、言葉が軽く、反射的に話しているような印象を受けました。一字一句のオウム返しが気になって話を何度も遮られたのを覚えています。

それから数年間、朗らかで、人柄がよくて、嘘つきで、けた違いの失敗をやらかす後輩について悩み続けた日々。できの悪い弟をもったお姉さんのように、後輩の書くメール1通まですべて目を通す日々でした。そんな非生産的な業務を上司から指示されていたことも、今にして思えば「やばい会社」なんだろうなと思えますが、当時は当たり前だと思っていました。大きな失敗をした後も、後輩は「次こそは頑張ります!」と意気込みます。大きな失敗は繰り返されます。始末書を何度も書き、一緒に客先に謝りに行きます。

あの時の自分は視野狭窄でした。もし、今、職場にやばい人がいる人は、どうにかして離れられるようにしてみてください。その目の前にいる人は、悪意はありません。でも、あなたの手に負える人ではない可能性があります。上司にはその不安は伝わりませんし、伝わったところで上司はかかわりたくないので、あなたに対応するように依頼をしてくるはずです。(まともな上司は引き取ってくれるかもしれませんが…)

今、あのやばい職場を離れて思うと、いろいろと自分で背負い込まなければカサンドラにならずに、精神科のお世話にもならなかったのではないかと思います。背負い込んだのは、半分環境要因で、半分は自分の要因でした。

元々、後輩が入ってくる前にチーム内でパワハラがあり上司が去っていき、さらに業務量が年々増加してきていたこと、残業代が大好きな後輩の反対でパワハラ上司が去ったあとの補充人員を入れてもらえなかった事。そんな状況の中で、40歳近い中途入社社員の発達障害を疑い、ミスのカバーをし続けて、勝手に「合理的配慮」をしてしまったために、自分がつぶれていました。

つぶれた自分は、自暴自棄になり、ついに後輩にあたってしまいました。そしてパワハラで訴えられます。自分はパワハラを否定し、後輩の週2の副業で残業を断られ続けていて業務超過に追い込まれていたこと理由に反撃して、本当に気持ちが悪い展開で、結果、会社にうやむやにされました。

勝手に合理的配慮なんてしなければよかった。上司に判断させるべきでした。今考えるとこれは自分の問題でした。上司の使い方に自信があった自分でしたが、この時は全然ダメでした。自分の自己認識の価値が低いため「自分さえ我慢すれば」で起きた事故だと思います。後輩に対しては恨みはありません。家族にはかなり迷惑を掛けました。

自分を大切にしておけば、自然と違和感がある相手との間に距離を保てるのではないかと思います。相手にもそのほうがよかった…。

ですので、もしこれを読んでくれている悩める方。厳しい環境で目の前の問題を自分でカバーしようとしてはいけません。対応は専門家に任せましょう。あなたと相手の間に産業医か上司を挟んでください。はさめない場合はそこから逃げてください。間違っても、自分で発達障害の本を買い、読み漁り、対応をしようとしてはいけません。

カサンドラになってからは数年単位の適応障害や抗うつ状態、癌まで発症しました。半端なかったです。

また、私が病気になって数か月後、上司は私と後輩を離しましたが、上司の問題になることを恐れて問題をもみ消そうとしました。その際に上司から「女だから病気になった」「弱いから病気になった」と言われたのが、私が転職を決めたきっかけです。環境が厳しいとパワハラが起きる。自分も含めて人の弱さを見せつけられた数年間でした。

読んでいただきありがとうございました。職場は一つではないので、やばい環境からは逃げて逃げて逃げまくってください。

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