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「スマホを取り上げて新宿駅に放り込む」に見る体験することの強さと、水平思考すること

こんにちは、ねここです。
お昼休みです。

わたしはTwitterを情報収集ツールとしてめちゃめちゃ活用しています。
(....と言っておけば、ただのTwitterジャンキーなことをカモフラージュできると考えている節がある)

で、Tweetをいい感じに(もしくは恣意的に)まとめたTogetterも頻繁に眺めて、世の中のいろんな面白いことを探してたりします。

魔境、ダンジョンとよく言われるシンジュク駅やシブヤ駅にスマホなしで放り込むという通過儀礼。面白いですね。
わたしは地図を読めて、脳内の白地図を埋めていくのを楽しめるタイプの人間なので、たぶん全然苦にはならないんですが、そうじゃない人には辛そうですね。
とくに最近はあらゆることがスマホありきでデザインされていることが多くて、そのツールを取り上げられるとすごく困るというのが容易に想像できます。ゲーム的に言えば「沈黙」「混乱」とかのデバフを付けられる感覚(?)

けれど、そうすることでGoogleマップが提供したいものを体験できる、というのはとてもすごいなと思うわけです。知識だけでも分かった気にはなるけれど、体験することでスッと腑落ちする。それによって本当に必要なものが抽出され実装される。体験は強い。

という話を読んで、わたしは思うわけです。

こういうやりかたってたぶんいろんな仕事、いろんな部署に転用できそうでは。

面白いなぁだけではなくて、こういうの取り込めないかなぁって、一度立ち止まって考えてみるのって、すごく大事だと思うんですよね。
考えた結果、成果は得られませんでした! でもいいと思うのです。
考えることが大事。
ビバ水平思考。

そんなことを時々思いながら、仕事してるフリをしています(昼休みはとっくに終わった)


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