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ガルシアの首

Bring Me the Head of Alfredo Garcia (1974)

 サム・ペキンパー監督、独特の暴力描写と滅びの美学が鮮烈に示され、彼の最高傑作との呼び声も高い作品。個人的にペキンパーの(と言うか戦争映画の)最高傑作は後年の「戦争のはらわた」だと思っていますが、本作は「ワイルドバンチ」とともにやはり3指に入りますね。

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 ダメ男ベニー(ウォーレン・オーツ)と浮気女エリータ(イセラ・ヴェガ)の中年カップルを描く前半は絵的にまるっきり美しくなく、『首』を奪われるまでのくだりがタルいという意見もあります。私も若い頃はそう思っていたのですが、年齢のせいか、はたまた結末を十分に知っているからなのか、この2人の絡みがいたく胸にしみます。特に木の下のピクニックのシーンですね。一見不必要に長いとも思えるシーンですが、ベニーがダメ男なりの幸福を集約し、思い描き、言葉にするとても重要な場面だと思います。これがあるとないとでは、バイカー(クリス・クリストファーソン)を射殺するシーンや、ベニーが墓場で息を吹き返すシーンの深みに雲泥の差が出るでしょう。

 バイカーがエリータをレイプしようとするシーンは、普通に考えると胸糞悪い展開なのに、なぜか牧歌的な印象すら覚えます。ヴァイオレンスの巨匠とされるペキンパーですが、実はこういう穏やかで繊細なシーンを撮るのがとてもうまい。それをベニーがぶち破るのは、もしかすると彼がエリータにみせた最も深い愛情かもしれませんし、同時に彼の狂気の始まりなのかもしれません。どことなく「わらの犬」に通じる気もしますね。確かこれ以降、エリータが歌わなくなると思いましたが、その通りであればそれも象徴的です。

 それ以前の、実体のないアルフレド・ガルシアはベニー達にとって幸福の青い鳥的なファンタジーでしかないのですが、私が思うにはバイカーを殺した瞬間から、遅くとも墓の在処がわかった時点で逃れられない呪物へと変容します。これはベニーとエリータの間の空気ががらりと変わることからの推測。墓場以降、呪いは『首』という実体を得て、ベニーを復讐とその後の破滅へ確実に導いていきます。ベニー自身は明確に意識していないと思いますが、復讐と破滅は最初からバーターなんでしょうね。

 この『首』の描写ですが、あえて袋の中身を見せないぶん、とてつもなく禍々しいです。ハエがいっぱいたかっているのも、生理面はもちろんもっと奥深い精神面でもおぞましく、まさに呪われたオブジェクトです。そしてその『首』に旧友のように語り掛けるベニーは、自ら狂気へ向かうとともに、『首』に魅入られ依存を深めているようにみえます。冷やすための氷を割るのも、なんだか儀式的に思えました。『首』が放つ腐臭(もちろん嗅ぐことはできませんが、映像から確実に臭ってきます)、爽やかさとは程遠いメキシコの暑さや生々しく乾いた汚さも、ベニーの狂気を加速させています。

 ベニーは復讐の果てに破滅が待っていることに気付いていないんじゃないかと書きましたが、破滅へのスイッチを入れたのがテレサ(ジャニン・マルドナード)のひと声だったのかなあ、と。その後のベニーは、慌てるでもなく破滅を受け入れているようにもみえます。野良犬が意地を貫いた先には何もない。逃げおおせたら儲けものだが、十中八九それはあり得ない。……今回はそのように感じたのですが、書いてるうちに少し自信がなくなりました。(笑) 初期の脚本では、ベニーは生き残ることになっていたそうなので、また見るときはこのラストにもっと注意して見てみます。

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 ベニーにガルシアの捜索を依頼する2人組(ロバート・ウェッバー、ギグ・ヤング)は同性愛の関係にあるとのこと。これは今回見るまで知らなかったし気付きませんでした。言い寄ってきた酒場の女にウェッバーが思いっきり肘撃ちを食らわせて昏倒させるぐらいなんで、ミソジニストでもあるのかもしれません。「戦争のはらわた」にも同性愛者の中尉が出てきて、主人公に射殺されますね。ペキンパーは作品中の女性の扱いがすさまじくヒドイので、女性嫌悪ないし男根主義の権化のように言われますが、女性をひどく扱う登場人物は大抵ぶち殺されるか、もっとひどい目にあわされてる気がします。同性愛者を映像作家としてどのように思っていたのか、今後掘り下げてみたいところです。

 本作は米国では評価されず、上映禁止とされた国もあるいっぽうで、日本ではヒットしました。無常観から滅びの美学に対する理解の深い日本人の感性もあるでしょうが、もしかすると1973~74年の「仁義なき戦い」5部作が、その下地を作ったのかもしれません。破滅へ向けて一気に突き進むベニーと、「仁義の墓場」の石川力夫(渡哲也)、「TATTOO<刺青>あり」(1982年の映画ですが)の竹田明夫(宇崎竜童)が私のなかで驚くほどシンクロしました。日本が舞台のピカレスク・ロマンとして翻案したいと考えた/考えている映画作家は少なくないんじゃないかなあ。仮にそうだとしても、誰も正面切ってやらないのは好ましいことなんじゃないでしょうか。

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