見出し画像

グラン・トリノ

Gran Torino (2008)

 クリント・イーストウッド制作・監督・主演作。朝鮮戦争に従軍したクソジジイと、隣に住むモン族(ベトナム、ラオス、タイの山岳民族)の少年との絆を描くドラマです。カーアクション映画ではありません。

画像1

 タイトルのグラン・トリノは、1972~1976年に作られたフォード・トリノの第3世代。アメ車らしいアメ車、いわゆるマッスルカーで、映画に登場する車は1972年製です。ラスト直前にならないと動く姿を見られませんが、シンボリックな存在として描かれています。

画像3

 ジジイは実の息子たちにも持て余されており、自身は「息子たちにどう接していいかわからなかった」と言っています。米国の強い父親は自分の分身を仕立てるがごときの子育てをするもんだと思っていましたが、まさに現在、高校生の息子との結構な違いに戸惑っている私にとって、すんなり腑に落ちる言葉でした。フォードに長年勤めたジジイは、良くも悪くも保守的な米国人ですが、おそらくベトナム戦争後に生まれたであろう息子たちはもっと柔軟でグローバル、まったく価値観の違う米国人に育ちました。同族のギャングに唆されてグラン・トリノを盗もうとしたことを素直に謝った少年に、失敗した子育てのやり直し=贖罪のつもりでジジイは接しているのでしょう。また少し視点をずらしてみると、これから米国人として生きていかねばならない(ベトナム戦争で米国に協力したことで、モン族は難民化したため)少年に、米国人の魂を根気よく叩き込んでいるようでもあります。

 ジジイが銃でギャングを脅したもんだから、逆恨みしたギャングが少年の家を銃撃し、少年の姉をひどい目にあわせます。ジジイは落とし前をつけるために単身ギャングの家に向かいます。ここでギャングを皆殺しにすればイーストウッドらしくてスカッとするところですが、そうはならない。保守らしく法を犯すことを選ばなかったというのもありますが、少年にだけ打ち明けた戦争中の罪(亡くなった妻はそれを知っており、告解によって苦しみから解放されることを願っていました)を贖う方法をとります。

 そうする動機は、すでに自身が病魔に冒され余命いくばくもないことが判明したからなのだと思います。病気が判明したことでジジイは息子に電話をしますが、もしかすると施設に入ると言いたかった(でも言えなかった)のかもしれません。

 こうしてみると本作は、ジジイの終活=贖罪の物語なのですね。

 生きている側からすれば悲しいし、やりきれなさもあるのですが、ジジイがすべての苦しみから解放されて逝ったであろうことには、安堵と希望があります。そこで晴れて、ジジイの人生の光を象徴するグラン・トリノが少年に継承される。遺産整理の場面での孫娘(ドリーマ・ウォーカー)の絶妙な表情は見ものです。ラストシーンは少年も車もわんこも、とてもうれしそう。うん、いい映画だ。

 なお私、車よりバイクのほうが断然好きですが、1台だけタダで車をくれてやると言われたら、シェルビーマスタングGT500スーパースネークが欲しいです。

画像2

【追記】
 ジジイと神父がバーで生と死にについて語るシーンがあります。『よく生きること』は命があるかぎり何度でもチャレンジできますが、『よく死ぬこと』は1回こっきり、ぶっつけ本番なんですよね。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,651件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?