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情無用のジャンゴ

Se sei vivo spada (1967)

 ジュリオ・クエスティ監督、トーマス・ミリアン主演のマカロニウエスタン。北軍の黄金を奪った盗賊仲間オークス(ピエロ・ルッリ)に裏切られた主人公(ミリアン)が復讐を決意するまではまあ定番ですが、復讐相手は流れ着いた『不幸の町』で住民に皆殺しにされ……というかなりひねったストーリー。脚本を書いたのはクエスティ監督と、ベルナルド・ベルトルッチやルキノ・ヴィスコンティの作品に編集・脚本で携わったフランコ・アルカッリ。

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 『不幸の町』は、テンプラー(ミロ・ケサダ)とハーゲルマン(フランシスコ・サンズ)の2人の有力者を中心に結束していて、さらにならず者の黒シャツ軍団を束ねるソロ(ロベルト・カマルディエル)が力で抑えつけている構造。オークス一味を狂的な住民が襲撃するさまは「バイオハザード4」的なフォーク・ホラー風味があってなかなか怖い……と言うか、オークス一味が町に流れ着いた時点で、かなりヤバイ町であることを強く印象づけています。1928年生まれのクエスティ監督は、大戦中にレジスタンス活動に身を投じていたそうで、ソロの手下が揃いの黒シャツを着ているのはムッソリーニの黒シャツ隊(Camicie Nere)がモデルと思われますが、住民のオークス一味に対する陰惨なリンチ・処刑もまた、監督の戦争中の体験が下敷きとなっているのでしょう。

 作品としては異色ながら優れたウエスタンだと私は思いますが、ミリアン自身の魅力はさほど発揮されているようには思えません。と言うのも、本作の主人公は凄腕ではありますが、仇敵オークスを倒した後は計略を用いて漁夫の利を得るでもなく、愛した女のために戦うでもなく、ただひたすら町に巣くう欲望と悪徳の傍観者に過ぎないからです。そのオークスの息の根を止めたのも主人公ではなく、彼が撃ち込んだ黄金の弾をオークスの身体からほじくり出した住民で(このシーン、「ゾンビ」っぽいですよね)、本作で本当に主人公が撃ち殺したのはソロだけだったはず。この点でも本作は絶頂期のマカロニ作品としてはかなり異色のものと言えます。

 異色と言えば、人質にされたテンプラーの息子(レイモンド・ラヴロック)の黒シャツ軍団による鶏姦ですね。露骨な表現はないですが、アルカッリによる編集の巧みさと、息子が自殺することで何があったのか観客に十分伝わります。この時代にあってなかなか思い切った表現だと思いますが、露悪すれすれで上手く処理したなあと感心します。これが本格的デビュー作のラヴロックも、よく承知したもんですね。後年「ガラスの部屋」でアイドル的な人気を得るのですから、結果的に心配無用ですが。

町を巡るソロ、テンプラー、ハーゲルマンの3つの勢力は「用心棒」の発展形、テンプラーの愛人フローリー(マリル・トーロ)の悪女キャラも「用心棒」、自宅内に幽閉されているハーゲルマンの妻(パトリツィア・ヴァルトゥッリ)は「赤ひげ」からもらったアイデアでしょうね。それと、本作と同年の公開映画なのでインスパイアはないかと思いますが、ジョン・ブアマン監督/リー・マーヴィン主演の「殺しの分け前/ポイント・ブランク」という映画も、強盗仲間に裏切られ殺され損なった男が主人公で、男が手をくだすまでもなく仇敵が勝手に死んじゃうお話でした。

 脚本だけでなく、クエスティ監督の演出、アルカッリの編集も当然随所で冴えています。序盤の黄金強奪や、主人公の葛藤、黒シャツ軍団の爆殺シーンの細かいカット割りなどは、斬新かつ鮮烈ですね。前述の町の不穏さやオークスの最期のショック表現も見事です。ほかには、テンプラーとハーゲルマンがオークス一味からかっさらった黄金の分け前で揉めている様を、フローリーが覗き見している時のエロさとかね。あと細かい部分ですが、主人公を助けたインディアンの1人が頭の皮をはぎ取られるシーンで、スキンヘッドの男がニヤニヤしながら自分の頭をなでてたりとか。

 ドキュメンタリー出身のクエスティ監督は、本作を含めた長編映画を3本ほど撮った後はTVで活躍した人ですが、本作翌年のジャン=ルイ・トランティニャン主演のサスペンス「殺しを呼ぶ卵」もなかなかカルトな作品でしたよ。

 美少年時代のレイ・ラヴロックが日本語で歌った1971年の曲。私4歳でしたが、日本でもそんなに人気あったとはさすがに知らなかったです。


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