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史跡・遺跡、神社仏閣巡り

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先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。
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#旧東海道

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社

はじめに2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。 今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。 昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。 それでもこれをもって完走できる。 もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 <旧東海道位置関係(仮)>※注:旧)矢作橋

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑬板屋町~八帖町 寄り道~八丁諏訪神社

はじめに長く続けてきた「東海道・岡崎城下二十七曲り」を歩く旅も残すところ2回(この記事を含む)。 今回の旅路にでてくる「松葉総門跡」。現在の位置で言及すると国道248号線付近だ。そこが古の岡崎城の外郭の総門にあたる。 ここを「岡崎城下二十七曲り」の終点(or始点)にするかーー、はたまた、今回の旅路の終点を二十七曲りの終点(or始点)にするかーー。 かなり迷った。 なにせ、南冠木門のような東海道二十七曲り(始点/終点)の碑がないからだ。 歩いた私自身もどこを終点とするか悩

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社

はじめに今回・次回の東海道を辿る旅路では迷っている旅人を散見したため、史跡や長閑な風景だけでなく「ここの道を行ってください」という案内も多くする。 実際に私が東海道・岡崎二十七曲りを辿っていた際に何組かの道に迷った旅人に声掛けした経緯がある。 また、国道1号線を横断しなければならないため、旧東海道とは道が大幅にズレていると思われる。その点はご理解をいただけると幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路と寄り道旅は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおり

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑩材木町~魚町 寄り道~松平広忠公と所縁ある白山神社

はじめに岡崎城と近距離ということもあり、松平家と所縁のある神社仏閣が多いエリアを歩いている。今回も東海道沿いに家康公の父君・松平広忠公と所縁がある「白山神社」に寄った。 「あのあたりに神社がある」ということは何となく知ってはいたが、由緒までは全く知らず。私の歴史を辿る旅も情報発信の一助になれば幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 今回の旅の始点は「旅の目印”ぬ”」350m道なりに進むと「旅の

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑧籠田公園~材木町(寄り道:空襲の碑、秋葉神社常夜灯、岡崎城信濃門跡、東海道・岡崎二十七曲りの生みの親 田中吉政公の像)

はじめに「東海道・岡崎二十七曲り」を歩き切って早2か月強。 記憶が覚めぬうちに……と思いつつ、双月。時間が過ぎるのは早いものだ(遠い目)。 諸般の事情でなかなか執筆が進まないが、とにかく完走はさせたい。 (確定申告がある方、がんばりましょうぞ) 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 今回の旅の始点は籠田総門角常夜灯今回の旅は籠田総門角常夜灯(旧:岡崎城外郭)から始める。 「籠田公園北西」の信号を名古

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く① 岡崎IC付近~岡崎宿・南冠木門(寄り道:法光寺)

はじめに天正十八(1590)年 、家康公の関東移封後、田中吉政公が岡崎城主となり、岡崎城下の整備を進めた。 吉政公は特に農地拡大/改革に力を入れたという。 屋敷(おそらく、家康公らと供に関東に赴いた家臣の館か)の塀は壊し、その跡地を開墾し、広く田畑を確保するようにしたと。 その際も家臣にのみ管理監督を任せず、吉政公自身が農地に出て直接指揮や城下を見て廻ったという。弁当を城から取り寄せ、畦道で昼食を……という旨の記載が『新編 岡崎市史 近世3』に見て取れた。 農地改革とと

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く② 岡崎宿・南冠木門~旧)岡崎城下入口付近(曹洞宗 根石寺)

はじめに前回の『岡崎二十七曲り』の始点『岡崎宿 南冠木門』までの記事は以下を参照いただければ幸いだ。 東海道を巡るとともに、それぞれの史跡や神社仏閣の位置関係から新たな視点が見えてくる。 そのお付き合いを今回もしていただきたい。 今回の旅の始点と終点は以下のとおりだ。 今回は「岡崎宿 南冠木門(二十七曲り始点)」から旅を始める 『二十七曲り』の説明が書かれているが、御影石だろうか。 反射してなかなか読み取れない。 「南冠木門」を後にし、片道1車線の道を北上する。

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く④ 両町~伝馬町(寄り道:祐傳寺、徳王稲荷、三河別院、円頓寺)

はじめに前々回の記事で、『岡崎二十七曲り』の「旅の目印」”ろ”まで進んだ。 今回はその先へと足を進める。 ”ろ”の目印までの記事は以下を参照いただけると幸いだ。 今回の旅の始点・終点は以下のとおり。 東海道・岡崎宿の宿場町まで歩みを進める。 今回の旅は「旅の目印」”ろ”から始める前回までの「旅の目印」に従って道なりに西に向かう。Googleマップでは近隣の道が『東海道』となっているが、ここは「旅の目印」を優先する。 江戸時代初期には「旅の目印」”ろ”付近以西は岡崎城