更年期のざれごと No.5


はじめに

人って、人生の前半は楽しいことも含めて、失敗したり悔やんだり…
そんな想いを自分の引き出しに詰め込みながら生きているのだと思います。
だから今の自分が在る。
そして、後半はその引き出しを時々開けたりなんかしながら、また違う角度で人生を眺め、あらたに学ぶ。

私も、後半に差し掛かったなぁ~と呟くと、「君は、百何十歳まで生きるんだネ~」と夫に言われとっくに折り返している事に気がついた次第です。

日頃から、毒舌…と言われる事もあるのですが、ここまで来たら更年期なんだから、ちと好きに言わせてよネ…と言うことで『更年期のざれごと(ざれごと)』です。

戯言…(ふざけ半分に言うこと、ふざけてする事柄、冗談事)…と、辞書にあります。

つまり、ちょっとした時間潰し…くらいの軽~い気持ちで笑っていただけたら…と。

ちなみに、10年以上前からたまにメモしていたものも含まれますので、今の社会情勢に合わなくなっている事があるかもしれませんが、あ・し・か・ら・ず


感謝の心


ゆみチャンと知り合って、かれこれ10年くらいにはなるんだろうか…
その翌年に彼女から初めての年賀状が届いた。
年賀状の隅に「この出会いに感謝…」と書いてあった。
世の中を斜めに見て育った私は、この言葉をすんなりとは口にできない。
ちと、ひねているのだ(笑)

ラジオのパーソナリティをやったり、テレビに出ているゆみチャンの事、様々な人との出会いの中で、私と違ってこういう言葉もス〜ッと素直に出てくるのだろうくらいに思っていた。

実際、明るくとても気さくなゆみチャンとは
年甲斐もなく恋話なんぞで、時を忘れて盛り上がったりする。

ゆみチャンがテレビに出ているのを知って
日頃観なかったローカル番組にもチャンネルを合わせるようになった。
「お、今日も元気だネ〜」と
夫も私もすっかり親戚のおじちゃんとおばちゃん状態(笑)

そんなある日、ゆみチャンがご両親と妹さんを伴いカフェにやってきた。
たまたまその日が私の誕生日だと知ると
「ここに来て〜」と私をソファに座らせ、妹さんとふたりでプレゼント代わりにマッサージをプレゼントしてくれた。
私が少し遠慮すると「私、こういうの上手いんだから〜」
ふたりの優しさに、何だか面映ゆくもあり
そして、不覚にもウルっときそうだった。

数年前から、いつかゆみチャンの誕生日に何か作ってあげられたらいいナ…と思いつつ雑用に追われる日々…。
今年ようやく簡単な服を作って送った。
「ありがとう〜♡私の事を思いながら作ってくれたんだよね。手書きのメモも添えてあって、ホントに嬉しかった〜」とメールが届いた。ゆみチャンのホントに喜んでいる心が伝わるメールだった。
その時、フッと娘が小学生の頃言った言葉を思い出した。
「手作りの物って嬉しいよね。だってわたしの事を思いながら作ってくれたんだもん」
(そっか〜)
ゆみチャンの「この出会いに感謝…」は彼女の心そのものだったのだ…と思った。

感謝…という言葉
私、心でちゃんととらえようと思った(2015)

名物コンビニ

我が家は、そこそこ田舎にあるのだが
近くの幹線道路沿いにコンビニができた。
めったには逝かないが、いざという時はそれなりに便利だ。

ある日、夫がホットドッグを買った。
男性スタッフが
「温めますか〜?」
「はい、お願いします」と夫
「レンジで?」
「???」返事に戸惑う夫
(七輪で炭をおこして温めるという選択肢もあったりして〜?と突っ込みたくなった。笑)

また別の日…
レジでお釣りをもらう時
おばちゃんスタッフが
「ちょうど2円のお返しでございます。お確かめくださ〜い」
(何をもって、2円をちょうどと言うのか…笑)

またまた別の日… 
同じおばちゃんスタッフ
夫はちょうど出したので、当然お釣りなし
レシートを渡す時
「ありがとうございます。お確かめくださ〜い」
「何を…???」と、夫はレシートを眺めるしかなかった(笑)

別の女性スタッフ…
商品をレジの機器に当てる度に
「ありがとうございます」と毎回言う。
「ピッ… 540円 ありがとうございます」
「ピッ… 98円 ありがとうございます」
「ピッ… 141円 ありがとうございます」
これが買った品数分続く。
過度のありがとうございます、ちっとも有り難くない(笑)

夫は「あのコンビニ、毎回イラッとする…」と言うけれど
次はどこから攻めてくるんだろうと、私は少し変な期待をしてしまう。
笑い話のネタの宝庫なのだ(笑)

JACK語録

①どこに行った時だったけかな〜
夫が「ここに来るのもさびさびだね〜」
「???…アッ、ひさびさね 笑」
「似たようなもんだよ」
(似てない…)

②娘とスカイプ中〜
娘が帰国するとふたりで釣りを楽しむ夫
スカイプ中、釣りの話で盛り上がっていた。
「この間、大きいキスを釣ったから、常識で測ったら27センチくらいあってさ〜」
「それを言うなら、定規でしょ」とお腹を抱えて笑う娘。
夫のおかしな日本語に時々ピンと来ない私に
「パパの母国語じゃないんだから、ちょっとした言葉の間違いくらい察してあげなさい。私の方がパパとの付き合い短いのに、ママより分かるね〜」という娘も
この時ばかりは速攻だった(笑)

③ある日、私に向かって
「君は定年ボケだから〜」
「私には定年なんてないから ボケるその日まで働くんだ〜い」
「うん?でもよく使うでしょ。ていねんボケって言葉」
「……。あ〜、てんねん(天然)ボケね」
(天然ボケはあなたでしょ…笑)

④夜、ソファでウトウトしながら
首がガクッとなって起きた夫
首を押さえながら
「あ〜、ムチュウになってしまうよ」
「ハッ……?」
「何回も首がガクッてなるでしょ。首がおかしくなるよ」
「それを言うなら、ムチウチ〜笑」
「ムチュウになって寝てたら、ムチウチになるって事だよ。フン!」
(そのごまかし無理がある…笑)

⑤朝、カフェを開ける準備中〜
「まな板、もうシャッキンしたの?」
「シャッキンしなくても、まな板くらい買えるわい」

「…え〜と、何とかキンて言うでしょ。きれいにするの何キンだっけ?」

「あ〜、殺菌」
「あ〜、それそれサッキン〜笑」

(何とかキンなんて言うと殺菌どころか逆にバイ菌みたいだな〜)


血の繋がりって…

「戦争孤児たちの遺言」というドキュメントを観た。

空襲などで親を亡くし、施設に入ったり、親戚の家を転々としていた子供たちも、今は年老いてそれぞれがその頃の思い出を語る番組だった。

血が繋がっているはずの親戚に酷い虐待を受け、悲惨な子供時代を過ごした人達も少なくなかった。

よっぽど赤の他人の方が優しかったりする。
何なんだろう…

私達きょうだいも 幼い頃
時々、伯父・伯母の所に預けられる事があった。

食事の時間になると、いとこ達が食卓についても、私達は呼ばれる事もなく、部屋の隅で小さく固まっていた。

居場所がないような心細い思い出座っていると、2階からトントントンといとこのお姉ちゃんが降りて来る足音が…

「あっ…」

私達などまるで存在しないかのような空気が流れる中、たったひとりだけ。
このお姉ちゃんだけは毎回「あら〜、来てたの?ホラ、あんた達もこっちにおいで〜」とご飯をよそってくれるのだ。

お腹が空いていてもお代わりなど出来るはずもなかったが、それでも存在を無視されるよりは、ずっとましだった。

彼女は私達にとって、小さなひと筋の光だったのだ。

野坂昭如さん原作、ジブリアニメの「火垂るの墓」がテレビで放映される度に、私は胸がギュッと苦しくなり、涙があふれてきて目を反らしてしまう。
嫌でもあの惨めで屈辱的な子供時代がよみがえるのだ。

しかも、主人公の兄弟が自分の子供達と同じくらいの年齢差なので、重ねてみてしまう。

テレビを観ながら「ゆうチャンやたえチャンが、あんなふうに訪ねて来たら、皆で分けて食べようネ。それでも食べる物が無くなったら、死ぬ時は皆一緒だからネ」と毎回鼻をグシュグシュさせながら私が言うので
「ママ、分かってるから〜」と、その度に娘は苦笑いする。

だから、甥っ子や姪っ子が遊びに来ると
私は大量の食事を作る。

皆が結婚して家族連れで来ても、より大量の食事を作ってしまい、甥っ子には
「おばちゃん、俺、もう高校生じゃないから、こんなには食えないよ〜」と笑われる。

「持って帰ればいいよ〜」と、それでも私は大量に作る(笑)

何の因果か、人間に限らず犬でも猫でもお腹を空かせている生き物を見ると、胸がどうにかなる(笑)疼くのだ。

あれから、ただひとり優しかったいとこのお姉ちゃんは
19歳の時 海岸で 灯油を頭から被り、焼身自殺をした。

私が、中学1年生の終わりの頃だった…。

テレビから…

①お花見の季節の頃のテレビニュース
その年は例年より寒く、花もまばらだった。
そんな中、インタビューに応えていた数人の若い人達。
「友達と花見に来たけど、花はショボいし、人は少ないし…」

花よりダンゴならぬ、花より雑踏か…

花はともかく、人混みが苦手な私には
理解不明なコメント…(笑)

②川に流れ着いた弱ったトドを保護したどこかの地方のニュース
保護した動物園の飼育員にマイクを向けるレポーター。
「トドはどんな気持ちなんでしょうか?」
(???????)
トドに訊かんか〜い(笑)


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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