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「まぜる、ふくらむ、はしらせる」 ~Jリーグを触媒とした化学反応について~

1.セルフ・ポートレイト


この度、ご縁を頂きましてOWL magazineで執筆させて頂きます。YUと申します。普段は本業の傍ら音楽制作を行ったり、趣味でバンド活動を行ったりしております。長崎に生まれ育ったこともあり、サッカーJ2リーグのV・ファーレン長崎が好きで、休日は応援のため、頻繁に全国各地に足を運んでおります。尤も昨今の情勢により、遠征する頻度はすっかり落ち着いてしまい、DAZNでの観戦が主になっているため、新たな楽しみ方を探さないといけないと感じているところです。


普段から音楽をやっていることもあり、Jリーグと音楽を組み合わせた創作活動をさせて頂いております。Twitterに「Jサポけいおん部」と称して、毎試合前に対戦相手のチャントを弾き語る動画をアップし続けたことを発端に、Jリーグサポーターによるスタジオでの音楽セッションの企画、試合前に相手チームのサポーターと合同での音楽ライブ、架空のサッカークラブ「葉羽エストレーノ」のテーマソングの制作など、これまで様々な創作活動をさせていただきました。


この記事には、「私の過去から今に至るまでの経緯」と「今後OWL magazineを通して描きたいこと」を記しております。


まず2章から5章に、この記事を書いている私自身を知って頂くため、私の生い立ちやこれまでの取り組みなどを記載させて頂きました。長崎に持っていた負の感情をベースに、今の活動に至るまでの一種のあゆみを記しました。自己紹介の一環として、私について知って頂けるよう丁寧に書きました。5分~10分程度で読める内容かと思いますので、ぜひご覧いただければ幸いです。


6章、7章には、私がこれから表現していきたいことを中心に、いわゆる「OWL magazineにおける所信表明」の内容を記しております。記事全体は15分ほどで読み通せるかと思います。休憩しながらのんびり読めるよう、章で区切っておりますので、みなさんの時間を少しだけ頂ければと思います。

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(写真:著者近影)


2.19歳の脱出計画


私は長崎の端―長崎駅からバスで1時間強揺られてたどり着くような―そんな田舎で育ちました。長崎で過ごしていた小・中・高時代を思い返すと、正直申し上げて、あまりいい思い出がありません。むしろ嫌な思い出のほうが多かったと言っても過言ではないかもしれません。


そもそも長崎にいた、まだ発達しきっていない頃の私ですが、かなり変わった子供だったのです。多少勉強ができはしたものの、運動神経は乏しく、ルックスに大きな強みがある訳ではない。そして最大の欠点が、話題が特殊すぎて周りを置いてきぼりにしてしまうこと、つまりは人との上手なコミュニケーションの取り方がわからないということでした。


当時の人間関係を振り返ると、特段いじめられていたというわけではないのですが、クラスではどこか扱いにくい、なじめない、浮いている、癖のある存在でした。武器に例えると「鎖鎌」のような、そんな立ち位置の人間であったと自覚しております。好きな野球選手は清水直行(元千葉ロッテ)、小学2年生から好きな番組はずっと「探偵!ナイトスクープ」、特技は実家の最寄りのバス停から終点まですべてのバス停の名前を暗唱できること。今の私に問いかけてみても、そんな子供とコミュニケーションを取れる自信がありません。


人間関係が今一つならば、学業や芸事では秀でていたかどうか。決してそのようなこともございません。


中学までは学年で上位10傑を争うほどに順調だった学業は高校で一気に失速。往復バスで2時間半の通学を経て私に押し付けられる、「予習」と称する大量の課題。「正しい学び方」を知らない当時の私にとっては、学校で教えられる学び方こそが正義でありました。しかしその学び方はまるでフォアグラの製造過程のように、苦しい思いをしたわりに、大して学習成果は身に付かない―その結果、1年間の浪人生活を経験しました。


芸事についても、小さいころから好きであった歌うことや音楽を聴くことに繋がる技術を身に着けようと、吹奏楽部に入部しました。しかしそこでも「鎖鎌」としての特殊すぎる能力が顔を出します。ホルンを担当したものの、「ゲシュトップト奏法」が異常に上手いと褒められる以外、特筆すべき能力は身に着けられませんでした(ゲシュトップト奏法:ホルンのベル部分に拳を入れて勢いよく息を吹き込み音を出す、年に1回使用するかしないかという珍しい奏法)。歌を歌うことには比較的自信があったのですが、なかなか披露するチャンスは訪れず、その能力は秘められたまま、輝くことはできませんでした。テニス部の同級生が文化祭のステージで歌い、歓声を受ける姿に対して、恨めしい感情を持ったことを覚えています。


その後1年間の浪人生活を経て大学への進学が決定し、惜しむほどの人間関係を築くことのないまま、特殊すぎて使い道のない技能を持って長崎を離れることになりました。今振り返ると自分に問題があったが故のことなのですが、長崎を離れるときには「これで閉鎖的な『西の果て』から脱出できる」「今まで与えられてきた不本意なキャラクターを捨てられる」などと、捨て台詞にも近い感情を持ったことを覚えています。

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(写真:著者、高校時代、旅行先の東京ドームにて)


3.箱庭からの解放と「愛してる長崎を」


私にとって大きなターニングポイントとなったのは、大学進学に伴って大阪に居を移したことです。これまで「クラス」「部活」「学年」「学校」という小さな箱の中でしか物事を考えられなかった私は、「箱」のない世界で自分が本当に好きなこと・もの・人を探していく―まさしく「旅」をはじめることになりました。この自由な世界の中で出会い、好きになり、愛する存在になり、私の人生を変えてくれたもの、それが「音楽」と「Jリーグ」です。


音楽――ここでは、吹奏楽部時代の音楽ではなく、いわゆる軽音楽を意味します――との出会いは大阪に居を移した最初の土曜日の夜、大阪・本町のオリックス劇場でのことです。小さい頃から両親の影響で、両親の好みの音楽を聴いて育っていた私が、自分自身の手で初めてFMラジオから見つけ、好きになったロックバンドに会いに行きました。イントロのディレイのかかったギターの音を生で感じた瞬間、心の底から湧き上がるものを感じました。その瞬間湧いてきたさまざまな思い、「自分もこのギターボーカルのようになりたい」「スポットライトの当たる場所で輝きたい」「日陰の人生を覆して、あこがれの対象になりたい」。多少の下心は混ざっていますが、これらの思いが私にとって、はじめてギターに触れさせ、軽音楽のサークルに参加させ、バンドで弾きながら歌うことに挑戦させる原動力となりました。


私自身がバンドの一員としてステージに立ち、ギターを鳴らし、歌い、フロアを笑顔にする経験を積んでいくうちに、だんだんと私自身の存在価値を感じることができるようになりました。かつての私が私自身に持っていた、人間関係がうまく構築できず特筆すべき能力がないというネガティブなイメージが、徐々に払拭されていったのです。人から見られる対象となり、音楽を通して多くの人と触れ合うことで、人との付き合い方を覚え、交友関係も広く、深くなっていきました。

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(写真:著者、大学時代、神戸にて)


私が音楽と出会った頃と同じ時期に、郷里のチームがJリーグに参入しました。初めてサッカースタジアムというものに足を踏み入れたのは、2013年6月22日、神戸のノエビアスタジアムです。試合が楽しみな私は、スタジアムでの作法を調べ、応援歌を覚え、通販でシャツを買いこみました。気づけば私は、あれだけ嫌いだった長崎のために、それなりの時間と安くはない費用を割いていたのです。


その時、「箱庭」を出た私の長崎への感情は、過ぎた時間と新たな環境というフィルターを通して、澄んだ暖かいものになっていました。長崎という街の名前を、遠く神戸のノエビアスタジアムで声に出して叫び、「愛してる長崎を」などと歌っていると、捨ててきたはずの「長崎」という単語が、少しだけ愛着のある響きに聞こえました。


生まれ育った当時の私が認識できていなかっただけで、そもそも長崎というのは「事始め」と「多様性」の土地です。江戸時代に出島を介して受け入れられた異文化は、長崎にて混ぜられ、融合されて新たな文化として土地に根付く、まさしく「ちゃんぼん」のような土地なのです。神戸での出会いから、私は長崎への愛をたどるようにスタジアムに通い、毎週末の試合を心待ちにし、応援する気持ちを日々SNSなどに書いていきました。少しずつスタジアムには顔なじみが増え、その顔なじみはいつの間にか会う場所を問わない友達になっていました。育っている頃は友達と呼べる人もおらず、あまりいい感情を持つことができなかった「長崎」を、Jリーグが心の底から好きな場所へと変えてくれました。


「音楽」と「Jリーグ」をハンドルに、私の生き方の方向性が、少しずつ安定していったのです。

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(写真:2013年神戸vs長崎、試合終了後、ノエビアスタジアム神戸にて)


4.「まぜる」、「ふくらむ」

 
大学に進学し、私は新たな一歩を踏み出せたものの、音楽に関しては大きなコンプレックスがありました。ギターを始めたのが20歳ということもあり、やはり中学、高校からの経験がある人に比べて圧倒的にギターが弾けないのです。基本的なコード弾き(いわゆる歌の伴奏になるもの)はすぐに出来るようになったのですが、リードギターを弾いたり、聴いた音に対して伴奏を付けたりする能力は、なかなか身に付くことがありませんでした。


元来よりプライドが高く、「できない」ことですぐにやる気をなくしてしまう私にとって、この事実はギターへのモチベーションを失うに十分な出来事でありました。大学生活の後半では、ギターボーカルとしてコード弾きをしながら歌いはするものの、持っている能力を向上させることのないまま、のんべんだらりとライブをこなし、「自分には向いていない」と半ば言い訳のようなことを思いながら、ベースやシンセサイザーでライブに出るなど半ば浮気めいたことをしたり、当初の目標を見失っておりました。


しかしこれを繰り返したところで、オリックス劇場で出会ったあのギターボーカルになど近づけるはずがない自覚はありました。かといってモチベーションのない中、愚直に頑張り続けられるほど私は出来た人間ではありません。この現状を打破する方法を考えた結果が、「好き」と「好き」を組み合わせることでした。ギターの成長の壁を破るため、もう一つの「好き」であるJ リーグの力を借りることにしたのです。


「まずは弾き語りができる曲のバリエーションを増やすために、聴いた音に対して伴奏をつけられる能力をつけよう」そう思った私は、Jリーグのチャントに目を付けました。ツエーゲン金沢でチャントとしても使われているテーマ曲「ツエーゲンのテーマ」を何度も聴き、鳴っているベースの音を拾い、ベース音に合うコードを探して、簡単な譜面を作る―地道な作業も、好きなことのために好きなことの能力を身に着けていると考えると、決して苦ではありませんでした。


「ツエーゲンのテーマ」を一から弾けるようになったことは自信になり、次の曲、さらには次の曲と、どんどんバリエーションを増やしていきました。コピーを繰り返していくと、使える技術がどんどん増えていき、アレンジを考えるスピードも上がるようになりました。次第に自信がついた私は、長崎の対戦相手のチャントを弾き語りした動画を撮り、水戸ホーリーホックのサポーター有志で組んでいるバンド「水戸サポけいおん部」を模した「Jサポけいおん部」というハッシュタグをつけ、毎試合前にSNSにアップするようになりました。


毎試合繰り返した結果、動画に対して少しずつ反響が頂けるようになり、見て頂けることの喜びを覚え、ギターが楽しくなりました。また、SNSを通して「自分も同じようにチャントを演奏してみました」という連絡を頂き、これまで影響を受ける側であった自分が、影響を与える側になれたという点も、私にさらなる自信をもたらしました。


2019年には金沢でのツエーゲン金沢vsV・ファーレン長崎の試合前に、金沢のサポーターのドラマーさんとバンドを組んでライブをやらせて頂くなど、私の音楽人生の幅はJリーグを起爆剤にして大きく広がりました。

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(写真:2019年金沢vs長崎、試合前、石川県西部緑地公園にて)


5.「はしらせる」


音楽とJリーグを通して少しずつ自己肯定感を高め、仲間も増え、活動的になっていくにつれて、自分の創作活動の幅を広げると同時に、より多くの人と音楽とJリーグを通して知り合いたいと思うようになりました。


2020年、緊急事態宣言により試合が中止になったことを逆手に取り、私の知り合いを中心にJリーグのサポーターを集め、オンラインで椎名林檎さんの「NIPPON」を演奏する動画を作成しました。動画はYouTubeで約9,000回再生されるなど多くの反響を頂き、「Jリーグと音楽は組み合わせて楽しく遊べる」ということを、多くの方に向けて発信することができました。私自身としても、この企画を見た方から連絡を頂くなど、Jリーグと音楽という共通の趣味を持つ方と多く知り合うことができ、その後の創作活動に向けた種まきができたという意味で、非常にいい経験になりました。


最近ではかねてより興味があった音楽制作にも本腰を入れ始めました。こちらも作詞、作曲をして、アレンジを考え、全体調整を加え、最終的に音源として出力する―一連の作業は大変骨の折れる作業で、これまではなかなか重い腰を動かせませんでした。ですがそんな時こそ「好きなもの」の出番です。Jリーグ関係で知り合った人を中心に、作る曲についての様々なテーマや作曲の依頼を頂きました。そのおかげで、ようやく1曲をフルコーラスで作り切ることができるようになりました。人の役に立てる、人を喜ばせたいという思いで、今も日々スキルを磨いているところです。

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(写真:2021年現在、自宅における制作環境のようす)


6.OWL Magazineで表現したいこと


今回OWL magazineでの執筆のお話を頂き、大変嬉しく思う反面、「表現したいことが思いつかない」と困る部分もありました。私自身はそもそも、音楽以外で本業を持っている身であり、OWL magazineで執筆されている著名なライターさんと比較しても「何もない」、言わばただの素人です。


「サッカーと音楽が好き」という触れ込みでここまで記事を書いておりますが、実際にピッチの上で90分間戦った経験もなく、まして戦術分析のプロなどでもありません。音楽に関しても大学時代のサークル活動の延長で続けているのみで、全国のライブハウスを回った経験もなければ、テクニカルなギターソロが弾けるわけでもありません。言わば「何物でもないただの素人が、SNSでの反響に気をよくして『できる風な人』を気取っている」だけの人間です。


しかしながらOWL magazineという媒体を通じて、読者の皆様が私の文章にお金を払って頂く以上、何か有益なものを提供しなくてはならないという思いがあります。何のプロでもない私にしか書けないテーマ、数多ある記事の中から皆様の時間を頂戴するに値するテーマ、そして何より私自身が書きたいテーマを探していくことになるのですが、今のところうまく定めることはできなさそうです。


現在のアイデアとしては、まず、「音楽によるJリーグの遊び方」をみなさんと共有できればと考えています。今までYouTubeやSNSなどには、音楽や動画などの創作した結果―アウトプットのみをアップしておりました。長文を書くことができるこの媒体の利点を生かして、そのアウトプットに至るまでの私の発想や、制作途中に考えていること、制作目的などの過程の部分も含めて発信することで、これから音楽を始めたい方や、若いころの自分のような壁にぶつかっている方の助けになりたいと思っております。


そのほか、日ごろ暮らしていて感じていること、自分がひたすらに好きなこと、サッカーとその周りの世界を見ていて日ごろ感じていること―あえてテーマは定めず、様々なテーマをエッセイ的に、私自身の世界観をもって表現したいと思っております。幼少期からの私のウィークポイント「多少変わっている」部分を逆手に取って、一度よそ行きの私の姿を捨て、私本来の目で見た世界を、文章によって表現できればと思っております。


7.おわりに


ここまで長々と文を書き連ねてきましたが、ここまでの内容は私がこれまで世間に見せてきた、いわゆる「表向きの顔」です。私の大いなる悪癖として、学生時代から「コンプレックスを一つずつ潰していこう!」という思いで日々を過ごしていた癖が抜けず、自分を小奇麗に見せてしまうきらいがあります。十数年間「自分がなりたい姿」を演じ続けた結果、今現在、私自身の元来の性質、資質と、「なりたい姿」として振舞っている姿とのギャップに苦しんでいるところです。


私はこれからの記事の執筆を通して、メッキで整えた綺麗な部分ではなく、汚い部分、怠惰な部分、能力が足りない部分も含めて、ありのままを表現していきます。書くことで私自身の根の部分を読者の皆様に知ってもらうと同時に、自分ですら忘れてしまっている本来の私自身の姿を思い出していきたいと思っています。模範解答として読まれる記事、かっこいい記事を書くのではなく、解答用紙として読者の皆様に自分なりの答えを提出する気持ちで執筆する所存です。


私が敬愛するバンドの曲の歌詞ではないですが「『ING』で少しずつやる」という精神で物書きを始めるという決意表明をもって、この記事を締めさせて頂きます。

※この記事に出てきたこれまでの取り組み

この記事の話題において出てきた動画、制作した曲などを最後にまとめます。過去のものもあり、多少恥ずかしい部分もございますが、ゆるやかな成長曲線として見ていただきますと幸いです。




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