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そんなに外面が大事なのか

統計を取ったわけでも周囲の人に聞き込みをしてみたわけでもないけれど、外面の良い人は家族の言うことをきかない人が多いような気がする。

今は認知症になってしまい外出やお風呂を面倒がる実母だが、元気な頃はおしゃれを楽しみフットワークも軽かった。

行動範囲が広い分、様々な人に出会う。

人の目を気にして言動を制限する癖がある母の周辺には押しの強い人が集まることが多く、母はその人たちの言動に振り回されて家で愚痴を吐くのが常だった。

一度や二度ならば愚痴もすんなり聞き流せるが、毎回毎回解決しない愚痴を聞かされるのは苦痛でしかなかった。本人は少し気が晴れるのだろうが、聞かされる方は愚痴が毒になって積もり積もっていくから。

そんなに嫌ならば付き合わなければいい、こんなところで愚痴っても何の解決にもならない、本人に直接伝えなければ・・・そんなことを伝えても母の耳には一言も届いていなかった。

愚痴は言葉や文字に表現すれば少し軽くなる。私自身もここでこうやって書いているのだからわかる。

でも直接聞かされるのと読みたくない人がスルーできるのでは受け取る側のダメージに格差が生じると思う。愚痴は聞かされる方には猛毒にもなるから。

そんな日常を過ごす母は文句を言えないまま愚痴の張本人と付き合い続け、家で愚痴を吐いても自分の中で不満を処分しきれなくなり、突然怒りを爆発させて付き合いが切れる・・・とうのが交際パターンだった。

母自身は我慢に我慢を重ねた結果・・・と思っているようだが、相手に家で吐いている愚痴が理解できるわけはないので、『突然怒ってお付き合いがなくなった人』とほとんどの人は思っていそうだった。


そんな母は知人から騙されることも多かったようだ。

自営業についていた時は従業員の人にお金を貸し、結果的に踏み倒されて返ってこない。

主婦だった頃には高額の布団を買わされてしまったこともあったようだ。

酷いパターンになると実印を持って行かれて詐欺に使われ、発覚を恐れた末に実印も捨てられて戻らない・・・なんてこともあった。

実印事件は事件になって初めて知った。警察が被害者の1人として聞きに来なければ母は隠し通していただろう。

借りパクしておいて何年か後に偶然会ったりしてもそういう人は平然として「あら~~~元気ぃ~~?」なんて声をかけてくる始末。

お人好しな母をナメているのだ。


登校拒否児の私は人一倍母に苦労をかけていたので『母を助けなければ』と思っていた。

怪しい話をかぎつければ「駄目だよ。そんなのにお金貸したら返ってこないよ。」などと言っていたが、毎度毎度母の耳には届かなかった。

家族の、それも子どもの言うことなんてそこら辺の虫が鳴いている程度にしか思っていなかったのかもしれない。

母は何度も何度も騙されていた。

人から良い人だと思われたい、そんなことの為に外面を良く保つことがそんなに大事だったのだろうか?今更問い詰めても仕方がないことなので問うことはない。

結果として今の母がいる。

残念な気持ちで一杯だ。

昨日、母の楽しめるデイサービスをケアマネジャーさんに相談していた時につくづくそう感じた。

年金をきちんと支払っていたらペナルティもなく、もっと母の楽しめるデイサービスが選べたのに、週に一回ではなく二回や三回など回数を選べたのではないか、と。

外面を良く保つのは悪いことではない。

でもそれを優先するあまりに自分を大事にできなければ本末転倒ではないかな。

母にはもっと自分を大事に扱って欲しかった。そしてもっと家族の言葉を信じて欲しかった。

そのことがとても悔やまれる。



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