見出し画像

板書と方眼ノートと学習障害の話

子どもが小学校、中学校になって思ったのだけれど、プリントの量が半端ない。
そして、使うノートも指定される事が多い。

自分が子どもの頃の事はすっかり忘れているのだけれど、あれ?こんなに決められていたっけ?それとも、親がある程度プリントや宿題を整理してくれていたから、感じなかっただけなのだろうか?

学習障害、という障害を、学校の先生もあまり理解していない、という話を最近よく見聞きするようになった。

読み書き計算に困難がある、と言ってもポイントはその子どもによって、かなり違うし、知的障害ではない。発達障害の多動、などとも違ってめだたないため、見過ごされやすいという。

ただ、逆に学校の先生が本来一番気がついて、よりよい指導方法を考えないといけない障害なのではないだろうか?と感じた。

我が子は左利きで、ずっとノートテイクが苦手らしい。学習障害まではいかなくても、コンパスも定規も、様々な道具も使いにくいらしく、板書や作図みたいな作業が特に苦痛のようだ。
十人に一人は左利きで、矯正されない世の中になっても、例えば小学校では習字は必ず右で書くようにと、担任の先生が代わった途端強制されたりするなど、学校生活はスポーツ以外は困ることのほうが多いのだろう。

想像してみる。たとえば、親の私は方眼ノートが嫌いだ。とにかく見づらい。理由はよくわからない。
なので、今、私が子どもだったら、勉強が苦痛になったり、嫌いになったりする可能性は大いにあると思う。
感覚過敏だから方眼が苦手なのでは?
つまり、発達障害では?
知的障害なのでは?
と、検査や病院や薬を薦められ、支援級や支援学校を視野にいれては?と言われるようになる可能性が、まったくないと言えるだろうか?

場面緘黙のある我が子が、
発達障害(自閉症)だから話せないのでは?、と支援級をすすめられたように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?