ぼっち・ざ・ろっく!のアニメ5周して映画前編も見た男が後編も見に行った結果
はろーこんにちわ。
takiです。
ぼっち・ざ・ろっく!(以下ぼざろ)の映画後編見に行ってきま〜す!
楽しみ〜。
※ネタバレあり。未視聴者はスターバックス内の項目スキップもしくは映画見に行くことを超推奨。
8/25 11時23分某線電車内
ぼざろ映画後編を見るために池袋に向かっています。
前編で8話まで使っていますからね。
後編は尺足りるのか?と思っていましたが、案の定77分上映ですね。
後編4話分で84分ぐらいだと考えると妥当かなと。
普通に普通の総集編なのかなと予測しています。
上映まで残り1時間を切っていますが12話最終話をデカいスクリーンと映画音響で聞けると思うと期待ですね。
おそらく江ノ島と御茶ノ水のくだりはかなりカットもしくはハイライトでの上映かなと(特に江ノ島)
第10〜12話の秀華祭編は、喜多郁代編と言っても過言ではないくらい、喜多ちゃんの心情の変化や成長を丁寧に描いていました。
喜多ちゃんにフォーカスを当てた10〜12話を、あまりカットせず、後編に持ってくるのではないかと思います。
希望としては最後の文化祭のシーンを少し拡張してほしいし、あとはエピローグから2期へのつなぎ、続報があると嬉しいです。
同日 11時31分同電車内事件発生
オイオイオイオイ。
電車止まりやがった…。
しばらく待ちますか…。
間に合うかこれ…?
いやあと1時間近くあるから大丈夫なはず…。
同日12時分TOHOシネマズ池袋
間に合いました。
ポップコーン買う余裕があるぐらいには。
ポップコーンはキャラメル派。
そういえば、ED/挿入歌にカバー曲、新曲が使われる場合の予想を。
大本命はアジカンのRe:Re:のカバー。
劇場総集編のタイトルに引用しているのにはさすがに理由があるだろう…ということでRe:Re:のカバーは入るんじゃないかと思います。
あ、入場特典貰えました。
リョウのケーブルホルダー(使い方分からない)
リョウ好きなので嬉しいです。でも虹夏ちゃんが一番好き…。
さて、上映ですね。
ちゃんと電源切ります。
同日14:59 スターバックス内
上映終わってウロウロしてスタバにいます。
ネタバレをいともたやすくしていくので、未鑑賞の人はUターンカモン(2回目)
総集編全体の感想
前編『Re:』は始まりから時系列通りではなかったことに驚きましたが、その意図についてはパンフレットを読んだりすると腑に落ちるものでした。やっぱ作品作りってテーマが大事なんですね(小並感)
始まりと終わりを見事に繋げた総集編として素晴らしい仕上がりとなった前編。
続く後編は開幕からいきなり新規映像で既存の本編を補完する仕様に。
短いながらも、一瞬で前編よりも前の時系列だと分かる画作りに脱帽。
喜多ちゃん達の顔正面をあえて見せなかった所に、陰りのある要素を落とし込んだように感じられます。
本編で気になっていたところを埋めてくれたし、何より最後の最後でサプライズ。
わかっていた。
こうなるのはすでに本編でわかっていた。
わかっていたはずなのにまたやられてしまった。
そういう感覚です。
エンディングテーマとしてアジカンのRe:Re:が流れたのは痺れました。
いや、前編がRe:、後編がRe:Re:の時点でやってくるだろうとは思っていたが、本当にやってくるとは。
だってRe:Re:はアジカンの曲であると同時にアニメ『僕だけがいない街』の主題歌。
別のアニメのEDに採用するのはなんか権利の問題とかありそうじゃん。
そういうのを乗り越えたんだ……。
まだ鳥肌立ってる。
後編最後のシーンをどう捉えるか
まず、ぼっちちゃんの幼稚園時代のシーンの意味。
このシーンはテレビアニメシリーズにおける一番最初のシーンであり、ここが全ての始まり、このぼっち・ざ・ろっく!というアニメの出発点となったシーンといえる。
だがそれ以上に注目すべきなのは、ここでのぼっちちゃ っc”cんの「私なんかが、あの指にとまって良いのかな」というセリフ。
みんなの輪の中に入りたいけど入っていけない、というぼっちちゃんの性格は、この頃から現在に至るまで一貫しているもの。
後藤ひとりというキャラクターの根幹を示すシーンです。
アニメ版では、物語のエンディングとして同じくアジカンのカバー「転がる岩、君に朝が降る」が流れます。
これは、ぼっちちゃんが持つ才能ゆえの孤独、そして社会性の獲得と共に失われていくその才能について表現したものだと私は考えました。
その変化に戸惑いながらも、時に流されて転がり続けるしかないと、(意志を持っているかどうかはともかく)進んでいくことを歌ったTVアニメ版。
一方で、劇場版で流される同じくアジカンの「Re:Re:」は割と歌詞だけ見ると後ろ向きな歌です。
この楽曲が最後に挿入されることはどういった意味を持つのか。
TV版と全く同じ意図を持っているとは考えにくいのが正直なところです。
ここで最後のシーンのぼっちちゃんの幼少期のシーンが生きてきます。
保育園か幼稚園で周りの子が友達を作って遊ぶ中、たった一人ボールを持って佇むぼっちちゃんが描かれる。
見かねた先生の手に引かれてどこかに連れて行かれるぼっちちゃん。
その時離したボールは、キレイに並べられたボールとは離れた場所にポツンと放置される。
まるで、ひとりぼっちな後藤ひとりを表現するかのように。
Re:Re:がもう一度、やり直しということだとすれば…?
ぼっちちゃんの孤独の始まりの幼稚園。
そこから高校で結束バンドを組むことで高校でやっと孤独から解放された。
ということを示唆するものでしょうか?
うーん。難しい。
最後に
最後までお読みいただきありがとうございます。
新曲、カバー曲もあります。
まだ上映中です。
まだの人はぜひ見てください!
もう見た人は感想頂ければ嬉しいです。
それでは。
バイバイ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?