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子どものあらゆる営みを首尾一貫してポジティブに受け入れられる親であり続けたい 〜子のスマホ利用と子育てに対するスタンス〜

子どものスマホ利用について元MIT Media Lab所長の伊藤穰一が書いた記事が参考になった。

この記事が書かれた頃の筆者と同様、もうすぐ2歳になる娘のYoutube利用について悩んでいる私にとって100%タイムリーな内容だった。​

世間一般の子どものスマホ利用に対する見解

子どものスマホ利用については、なぜか他の話題ではリベラルな人が保守的になりがちである。

また、世の中に溢れるこの手の話題の記事は、ビジネス系メディアの「有名IT企業創業者の誰それは、子どものスマホ利用を制限している」といった情報を取り上げた記事か、いかにもPC・スマホを使いこなせて無さそうな教育専門家による記事か、熱が出た赤ちゃんの頭にキャベツを乗せていそうな人のブログ記事のいずれかと相場が決まっている。

これらの人々の信頼性に疑問が残る記事が溢れている中で、この記事は子どものスマホ(記事内では頑なにデジタルデヴァイス、モバイルデヴァイス、と書いているが)利用について、科学的な研究結果を基に筆者の考えがまとめられている。

また、子どものスマホ利用という切り口から、筆者の子育てに対するスタンスも知ることができる。筆者の子育てに対するスタンスは、私が普段から漠然と考えている子育てに対するスタンスとかなり近しい。

ちょうど良い機会なので、私が子育てについて現時点で考えていることも記録として合わせて書き残しておきたいと思う。

子どものスマホ利用に対するスタンス

この記事における筆者の主張は、筆者の妹であり、UCアーバインに所属する文化人類学者である伊藤瑞子による意見に集約される。

「テクノロジーの恩恵を受けている親たちは子どものガジェットの利用時間を心配するよりも、子どもがテクノロジーを使って何をしているのかに関心をもつべき」

子どもの成長という観点で考えると、子どものスマホの利用時間の多寡そのものはさして重要ではなく、スマホを使って何をしているかが重要、ということである。筆者は「一般的に子どものスマホの利用時間は制限すべき、という論調があるが、我が子がYoutubeでダンスを覚え、ビデオ通話で海外に住む祖母に歌を聞かせる、という営みを奪うことはとても考えられない。」というエピソードを紹介している。

事実、AAP(米国小児科学会)やオックスフォード大学による研究や調査により、子どものスマホ利用が世間一般で心配されるような悪影響を及ぼさないことが証明されている、としている。

スマートフォンなどの使用が子どもにそれほど大きな影響を及ぼさないことは、研究でも証明されている。保守的なAAPですら、インターネット依存やゲーム中毒とみなされる子どもの割合は全米で4〜8.5パーセントにすぎないと認めているのだ。オックスフォード大学のアンドリュー・プシュビルスキーとエイミー・オーベンが未成年者35万人を対象に実施した大規模な調査では、心理面での影響はごく軽微で、統計的にはほとんど無視できる水準であることが明らかになっている。

筆者は、エビデンスに基づいた結論を出すためには、デジタルデヴァイスとその挙動を決めるアルゴリズムが子どもたちにどのような影響を及ぼすかについての長期的な研究結果を待つ必要がある、としている。しかし、おそらく現在世間一般で恐れられているほどの悪影響は見られない、という結論に達するであろうことは容易に想像できる。

スマホの利用そのものが子どもに悪影響を及ぼさない、と考えられる以上、私は、必要以上に子どものデバイス利用を制限することは、デジタルネイティブ世代にとってメリット以上にデメリットが大きいように感じられる。

親に求められるスタンスは、上述されているように、スマホの利用時間そのものよりも、スマホを使って何をするか・何を学ぶのか、といった点にフォーカスして、スマホとの付き合い方を考えていくことが重要なのだろう。

子どもは親の鏡

「子は親の背を見て育つ」と言われる。

NPOのCommon Sense Mediaが実施した調査では、誰もがそうではないかと思っていたことが証明された。つまり、親はデジタルデヴァイスを多用しており、子どもがスクリーンに興味をもつのは親の真似をするからだというのだ。この事実は、わたしたち大人の子育ての矛盾をレーザーのように鋭く突いている。

記事にも書かれているとおり、なぜ子どもがスマホやテレビといったスクリーンに興味を持つのか、と言うと、親がいつもスマホやテレビを見ているから、というシンプルな原因に行き着く。

子どもは良くも悪くも親の影響を受ける。

私は学生時代に、勉強が苦手な子ども向けの塾講師や家庭教師のアルバイトをしていた。親から受ける相談は決まって「もっと勉強してほしい」「もっと本を読んでほしい」といった内容だった。その相談に対して私は「親が勉強している姿や、本を読んでいる姿を見せれば勝手に子どもは真似をしますよ」と回答していた。この回答を受けた親たちは一様に苦笑いを浮かべた。そして、その親たちから勉強や読書をしている様子は見られなかった。

なぜ親は自分が子ども時代にできなかったこと、今も尚できていないことを子には強く求め、時には叱責までするのだろう、と当時はその矛盾を不思議に思ったものだった。(今思えば、サービス業としての塾講師、家庭教師の回答としては不適切だったように思う)

子どもが親の姿を見て育つ以上、「子どもにこう育ってほしいと願う理想の姿」に少しでも自分自身を近づけていくことが、結果として子どもの健全な成長に繋がるのだろう、と考えている。また、自分が理想に到達できていない側面がある以上、我が子に対しても悪い意味で多くを求め過ぎてはいけない、と世の親は自身を戒める必要があると思う。

私の子育てに対する基本スタンス

私は娘に、愛情深い、聡明な子に育ってほしいと願っている。そう願う以上、自分自身が少しでも理想の親に近づけるよう努力していきたいと思う。

Connected Learning Labで幼児期の育児とメディアについて研究するシュテファニー・ライヒは、「どのような研究でも、鋭敏で愛情深く、子どもにきちんと注意を傾ける保護者に育てられるのがいちばんだという結果が出ています。首尾一貫していて、子どもと的確なコミュニケーションをとれるような親がいいのです」と話す。ある研究では、子どもを温かく見守り、制限はなるべく設けないほうが認知面でプラスの効果が出るということが示されている。

もうすぐ2歳になる娘は、イヤイヤ期に片足を突っ込んでいるフシがある。頑なにイヤイヤと言って号泣しているときは、流石にイライラしたり、ため息が出てしまうこともある。それでも、イライラしてしまい、ため息が出てしまう不完全な現在の自分を受け入れつつ、理想の親に近づけられるよう、気を取り直し、子どもが落ち着いて泣き止むまで、そっと側に寄り添っていられる親でありたいと思う。

また、新しいテクノロジーや考え方に対して否定的ではなく、積極的に取り入れられるスタンスを持った子に育ってほしいと願っている。

そうである以上、子どものスマホ利用に対するスタンスを考える上でも、首尾一貫してポジティブに、子どもがスマホを利用する姿を見守っていきたいと思う。

そして、スマホ利用という一つの事象に留まらず、子どものあらゆる営みを首尾一貫してポジティブに受け入れられる親であり続けたいと思う。

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