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終活の支援って、残される家族など周囲の人と語り合って情報や気持ちを共有しあうことを支援することでは、と思う

 終活アドバイザーでもあり、キャリアコンサルタント、FPでもある渡部昌平です。終活ってややもすると高齢者本人の希望で終わらせがちじゃないですか。もちろん基本はそれでいいと思うんです。しかし下手をすると高齢者本人が、相談した相手(友人だったり弁護士だったり司法書士だったり行政書士だったり終活アドバイザーだったり?)との間だけで決めて、身内の気持ちは放っておかれるというか高齢者本人の意図や気持ちが身内に伝わっていない可能性も高いように思っています。いや、財産を持っているのは高齢者だから、高齢者主体でいいんですよ。でも下手をすると身内の中に感情的なしこりを残しかねないのではないか、と。
 高齢の母親を持つ立場として、「いや、ちゃんと息子や娘など家族とも議論しておこうよ、意図や気持ちを伝えてよ」って思うわけです。まあ親からしたら、信頼できない子どもというのもいるでしょうけれども。

 私は東京在住だった30代後半で父親が亡くなり(もう10数年経ちます)、当時離れて暮らしていた母親から「お墓どうしようか」と相談されたので、自分なりにいくつかの提案をしたけれど(兄や自分がいる東京近郊かとか自然葬かとか)、全く採用されずに結局相談なく墓は決まっていました。母親にも意図や気持ちはあったのでしょうが、結局説明してくれませんでした。

 そんな母親は相続の際、近くで見つけた行政書士さんに相談して、僕ら兄弟に相続放棄をさせました(たぶん行政書士から「相続で揉めないために」と言われたのだと思います)。遺産もらったら貰いっぱなしで実家に帰らない人もいるでしょうから、そういう視点も必要だとはもちろん思います。しかし、ここでも母親の意図や気持ちは伝わりませんでした。

 ワタシなど50歳を超えても相変わらず母親にぼろくそに言われておりまして、先日何冊目かの著書が出版された際には「お兄さんのほうが文章が上手だ」と言われました。息子を心配してアドバイスしてくれようとする気持ちはありがたくはあるのですが「ところでどういう立場からのどういうアドバイスですか」と思うわけです。母親に本を書く意図はないし、ミュージシャン業の兄が本を書くつもりもない。まあ何でしょうか、「兄から文章を学べ」と受け取ればいいのでしょうか。単に聞き流せばいいのですが、身内だと聞き流しにくいんですよね。早口だとか滑舌が悪いとか声が聞き取りにくいとも言われます。あと話が面白くないとか上から目線だとか偉そうだとか、髪型が見苦しいとか(ハゲですから)口が臭いとか胃が悪いのかとか(苦笑)。

 高齢の母親に対して「いいアドバイス、ありがとう」「これからもよろしく」と言えればいいのですが、小さい頃からあまり褒められてないものですから(たいてい兄や周囲と比べてダメ出しを受ける)、なかなか素直に言えないんですよね。歳を取るに従って、お互いのコミュニケーションを変えるというか、もう少し具体的に密に意図や気持ちの情報交換ができるといいのですけれども。
 だからこそ終活に第三者が入るのは悪くないと思うのです。身内同士だと「素直に言うのは恥ずかしい」とか「身内だから分かってくれるはずだ」とか「ワタシの判断は常識的だ、これが当たり前だ。子どもに相談する必要はない」という甘えというか、言葉にしない部分も少なくないと思うのです。お互いに正直に言うとケンカになることもありますし。高齢の終活時期の皆さんには「自分の意図や気持ちをしっかり言葉で伝えましょう」「息子さん娘さんのこれまでを褒めましょう、認めましょう」と言いたい。まずは子どもの側から親を褒めたり認めたりすべきなのでしょうけれども。ええ、分かってはいます。終活を支援する人は、家族の会話を促す支援が重要だと思っています(多分終末期をご担当される医療関係者もそうですよね)。家族はどうしていいか分からないことも少なくないのです。本人が何を意図してどんな気持ちになっているか、分からないことも少なくないのです。そこを橋渡しする役割が必要ではないか、と。

※FPや金融や終活・終末医療に詳しい先輩がた、記述に間違いあればいつでもどこでもご指摘お願いしまス。

 


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