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努力について考える(まだ整理中)

 「人に迷惑をかけない」のと合わせて、日本では(サラリーマン社会では?)努力が尊重されるというか努力が強く推奨されているように思います。いえ、教員としてワタシも学生に努力を勧めていないわけではないのですが。

 ワタシは跡継ぎでもないサラリーマン家庭で育って、のれんも土地もなかったのでとりあえず生きていくために結構懸命に勉強したわけですが、勉強という努力をすればなんとなく上のほうに行けるというか暮らせるようになるのかなと思ってきたわけです。

 会社に入っても「これをやれ、あれをやれ」「できるまでやれ」で、当然に残業をしてきたわけです(時には「上司より先に帰るな」だったり「翌日までにこなすための仕事待ちの残業」があったりしたわけですけれども)。

 沖縄や海外で働き、今の仕事に転職し、そして50歳を超え、「この仕事、今日やる必要あるのかな」「そもそもこの仕事、自分がやらなくてもいいんじゃないかな」「この仕事は誰がやらなくても、誰も不幸にならないんじゃないかな」と思うことも増えてきたわけです。
 もちろん雇われているからには、やれと言われた仕事はするわけですが、「むしろこうしたほうがいいんじゃないですか」「それよりもこっちのほうはどうですか」みたいな提案があってもいいような気がするわけです。

 昔からのクセというか、どうも仕事に余裕が出てくると新しい仕事を入れたくなるわけですが(たくさん学会に入ってたくさん発表したり、知り合いに営業して研修講師を隙間なく入れたり、次の研究テーマを考えたり外部の研究資金助成に頻繁に応募したり、忙しくない自分は「ダメだ」と思ったり)、そんなに忙しくして、ところで何がしたいんだっけ、どうなりたいんだっけ、と思い始めているわけです。

 先日、大学の同級生のお見舞いに行って、むしろこれまでの人生を振り返って、これまでの人間関係だったりこれまでやってきたことを振り返って、それを大切にすることも必要なんじゃないかと思ったわけです。新しく作ること、新しいことをやることが人生ではない、と。

 まだ思考中で結論めいたものは現段階で特にないのですが、つれづれなるままに(noteですし)。普通は定年後とか人生の節目に考えるものなんですかね。なんとなく家庭や自分を犠牲にして仕事にオールインするのは違うような気がしてきたわけです。職場ではそういうの(仕事へのオールイン)を求める傾向がありますが。いや努力をしたくないというわけではないのですよ。仕事で努力はすべきだけど、努力の方向性というか、努力の欠けるべきポイントのバランスというか、改めて考え直して良さそうだな、と。

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