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「わたし」が芽吹く

詩人・山之口貘さんの代表作に『生きる先々』という詩があります。生きる先々で自分には詩が必要であることを切実かつユーモラスに謳っている詩です。20歳前半の頃、私はこの詩の内容にとても共感していました。

僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ。…
(「生きる先々」『山之口貘詩文集』所収、講談社文芸文庫、1999年)

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20代前半だった頃、私は毎日のように詩を作っていました。詩がなくては生きていけないという切実な思いがあり、1日の終わりに何らかの言葉が書きとめるのが習慣となっていました。内に湧き上がっている諸々のものを言語化することによって、ようやく安心して1日を締めくくることができるという感覚でした。

この貘さんの詩に影響を受けて、当時組んでいたバンド(種太郎という名前でした)のウェブサイトの自己紹介ページに「僕たちには詩が要る」という一文を掲げていた時期もありました。その頃、詩が私の心の支えでした。

 僕はいつでも詩が要るのだ
 ひもじいときにも詩を書いたし
 結婚したかったあのときにも
 結婚したいという詩があった
 結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た
 おもえばこれも詩人の生活だ …
(「生きる先々」より)

しかしその後、牧師になるために神学校に入ったことを境に、詩が書けなくなりました。神学校に在学していた4年間、まったくと言っていいほどに詩が書けなくなってしまいました。自分の胸の内から詩心が失われた感覚と言いますか、以前のように自然に詩が生まれてこなくなったのです。

無理に詩を作ろうとすると魂に激しい痛みが走り、言葉が紡ぎ出されるに至りませんでした。神学校の4年間は、まるで魂が捕囚されているかのような苦しい4年間でした(自ら意志して、あえてその中に身を投じることをしたのですが……)。この4年の間に、私の「内なるもの」は一度徹底的に否定され、土の中に埋葬されたように感じています。

2013年4月に花巻の教会に牧師として赴任し、ようやく神学校という特異な環境からは解放されました。詩を書く友人たちとの大切な出会いもあり、失われてしまったと思っていた詩心が、心の奥深くで再び胎動し始めるのを感じました。地中深く、埋められていた一粒の種が目を覚まし始めたように……?
それからの数年間は、私にとってリハビリ(?)のような日々でした。その日々の中で、少しずつではありましたが、自分の内に再び詩心が取り戻されてゆきました。ただし、いまも詩を作るにあたって、魂の内に不自然なきしみのようなものが生じることがあります。「内なるもの」が一度叩き潰されてしまったことの痛みと衝撃の後遺症のようなものかもしれません。

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このような変遷を経た上で、改めて20代前半の頃に作った詩集を読み返していると、若さゆえのみずみずしい感受性はやはり自分の中から薄れてしまったように思います。一方で、当時よりは、少しは人間らしい人間になってきたかな、とも思います。この地上により深く、根を下ろすことができ始めているという感覚でしょうか。

20代前半の頃は、魂の一部がまだ大地の上を浮遊しているような感覚がありました。何かのきっかけに魂全体が上空へと飛んでいってしまうのではないか――そしてそのまま帰ってこない――という危うさがありました。
けれども現在は、自分の魂がより堅固に大地に結び合わされ始めているように思います。人として生活することの重み。自身の体が絶えず地面にめり込んでいるかのような重み。この重々しさを私は否定的なものには感じず、むしろ微かな誇りさえ感じます。大地に深くめりこんで、愛する人々と共に生きることを、実はずっと以前からから心の奥深くで願い求めていたのではないかと思うからです。
人間として当たり前に生きること、〈いのち〉として十全に生きること、この「重さ」が自分にとっての解放です。この「重さ」が、取り戻してゆくべき自由です。

他の誰でもないこの「わたし」が、いま、土の中から小さな芽を出そうとしている――そう信じたいと思っています。



※このエッセイは詩誌『十字路 24号』(2020年2月発行)に掲載した文章を加筆・修正したものです。

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