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母と私

2023/12/31

突然だが、私は恵まれている方だと思う。

生活に贅沢はないけど、苦労はしたことはない。
だからといって実家が太いわけでもなんでもない。
高校、大学と奨学金を借りてるし、お年玉をもらった幼少期の私は母にピザ代を貸していた。
家族でちゃんとした外食といった記憶はほぼない。

知らないだけで数字と金銭面を見ると危ういには
現在進行形で危ういんだと思う。

でも一戸建ての可愛い家がある。

一戸建て家持ち、貧乏とまではいわないけど、まあお金はないかな、少ない方といった具合。

家があるだけ十分お金があるよ〜ていう話は毎回なんとなく説明に困ってしまう。

家を建てる審査が通り信頼が通って、どうにかローンで捻出できるくらいのお金はあったし、やっぱりマイホームだよねレベルで建てた家だと思う。
多分、家を建てられる基準ってハードルってそんなに高くない。

家のローン、私の知らないローン、光熱費、弟の諸々の学費とか?犬がいるからそのご飯代〜とかをやって本当にギリギリ成り立つか、立たないかくらいの生活をしている。


家族関係は濁り気味の、まあ良好。

私と母は多分仲が悪い。
思春期という時期に当て嵌めなくても、私と母はよく意見がぶつかりあった。
そこで理解を得られ納得できる答えになり解決できるならまだいいけど、私と母の関係でそのような着地点になったことがない。

「あなたとはなんでかわからないけど本気でぶつからないとダメだと思った」

と聞いたのはつい最近のことだった。

子供のためを思って私と「ぶつかりあう」選択をしていたのだと思うけど、私の視点から話すと「ずっと大事なことには理解を示してくれない母親」にうつっていた。

高校生の当時付き合っていた人とのところへ、もう遠距離になるだろうし初めて家にお邪魔をして泊まりたい、と今までの経験で頷いてはくれないだろうなと思いながら勇気を持って話したことがある。

理由もないダメの一点張りだった。

まあ、女だし、娘だし、母は元々心配性だし、とかいろんな理由をあと付けしては、今まで許しをくれなかった母を今回だけは絶対納得させたったから2日3日おきに同じ内容を話したことがある。

結果は変わらなかった。

心臓がバクバクしながら話しても、どれだけ泣き叫んで理由を話しても母は頷くことはなかった。

「行きたかったら行けばいいんじゃない」

私に選択の余地を与えて罪悪感を煽り、自由に見せかけたずるい言葉ばかりだった。
素直に話してくれたらいいのに、と行って欲しくない、ダメならそれなりの理由を私はちゃんと求めた。
聞いたら納得できる部分はあっただろうし、納得できない場合は妥協案やルールを決めるしかない。
母はダメなものはダメな人だった。

お泊まりの予定を入れていたその日、私は一日中ずっと泣いていた。

別に母に至ってはこれだけじゃないし、以前にもこういったことはあったから私は学んでいたし、私はこの日から母にそういうことを期待するのをやめた。

私がどれだけ何かを訴えても、母とは口論になり聞く耳はあり理解の色を示すが、否定しかしないので、もうこういう事になったら私が折れるしかないんだと学んだ。

母のことは本当に嫌いじゃない、でも多分対人間としては苦手なんだと思う。ただ、母親というペルソナを私に向けているからカバーされているだけで、めちゃくちゃ仲がいいよと言えるわけではない。

だからといって当事者でもなんでもない人に、それは毒親だとか、ちょっとおかしいよ、変だよと値踏みされるのはおかしいと思う。

でも私は大事にされているとわかるし、立派かどうかはわからないがこうして私は今の今まで存在している。本当に感謝している。
私は私なりの母との距離感でなんとかやっていけてるが、私がたまに自我を出して意見が食い違うとお互い絶対理解はできないからそれはもうどうしようもなく、仕方がない。

「あの時ごめんね」

と、お泊まりに行けなかった私に謝ったのもつい最近の事だった。

私と離れて色々考えることが母にもあったんだと思う。

高校最後、青春真っ只中、もう返ってこない時間、悔しすぎてずっと泣いていた私。
謝られても時間は戻ってこない。
永遠にずっと。

私は返して欲しかったと思う。

もう、私は仕方がないで折れるしかないのだ。
それで泣き喚いて、私の悔しさ、返ってこない時間を訴えて母を悲しませたいわけではないのだから。

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