フェレンゲルシュターデン哀歌

豆腐の角に頭をぶつけて死んだ父の
初盆に豆腐屋のトラックが来た
銀髪を短く刈り上げた初老の店主は
遺影を前に馬鹿丁寧な仕草で線香を上げ
長いあいだ手を合わせた後
茶の間で母と私に向かって土下座をした
手前どもの作った豆腐がお父上を殺してしまい
何とお詫びするべきか兎に角申し訳ない
かくなる上は今後無期限にご家庭の豆腐を
無料でお世話致したく何卒お聞き届け願います
豆腐屋の提案を母はやんわり願い下げた
父の死からのち、我が家の食卓に
豆腐が出たことは一度も無い
豆腐屋が帰ると同時に古い柱時計が正午を告げた
国産有機大豆から天然湧水と天然塩にがりで
一丁ずつ丹精込めて仕上げた滑らか純白木綿豆腐が
年相応に禿げた父の額からずり落ち
三つに割れながら落下し床に当たって弾ける瞬間
逸らした視線の先にあった時計の文字盤は
午後六時三十八分を指していた
白いボールのように回転しながら父の顔面に向かって
弧を描いた豆腐の軌跡がまだ目に焼き付いていた
にがりと豆腐のカスが顔の右半分にこびりついた父は
一昨年行方不明になった猫がよくやっていたように
壁の一点を凝視したまま固まっていた
大丈夫?と問う私に父は顔を洗うと言って茶の間を出て
それが最期の会話になった
当時父は勤め先で三年越しの大仕事を無事完遂する一方で
祖母に先立たれ認知症を患う祖父の
施設入居に関わる長い長い話し合いを決着させたばかりだった
これからは時間が取れるようになるから
久々に旅行にでも行こうかと話していた矢先だった

送り盆の翌朝、行方不明だった猫が戻って来た
一番懐いていた父がいないことに
特段反応する様子は無く
以前と同じ顔つきで壁の一点を凝視していた

郵便受けに件の豆腐屋のチラシが入っていた
やめてもらう電話をかけようとした私を母が止めた
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定期的に投函されるチラシを母より早く
回収して何故か捨てられず机に貯め込んでいる




【註】
フェレンゲルシュターデン現象(独:lengel-Schterden Phänomen)とは、が時々なにもいところを睨む現のことである。
このことを研究明した、シュターデン博士とそのフェレンゲルの名から命名された。というのはウソである。

某巨大掲示板の「何となく怖い」というスレッドが発祥。
(ニコニコ大百科より)

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