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『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』見たよ。

この感想は、
メガネと裸眼がそっくりなわけないだろっとか言い出すくらいオトナ気ない輩がお送りします。

ドラえもん のび太の太陽王伝説
(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2000

 さて、毎年見ていたドラえもん映画も、なんとなく去年は見送りしてしまったため、今年ももういいかと思っておりました。
しかし無駄に続けていたことを無駄としてしまっては、人生の気付かないほうがいいことに気づいてしまいそうにもなるので再開することに。

 で、

『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』

映画ドラえもん のび太の地球交響楽
(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2024

 あらすじっ
 出会った宇宙人が音楽パワーを必要としていたので協力しよう。

 熱意は伝わった。音楽力で生理的に感動させられた場面はいくつかある。
ただ、設定からお話から煮詰め不足でツッコミどころが多い。

 てなところです。

 ツッコミどころも些末なところだけだったらいいけど、重箱の隅だけでなく、ドラマの足を引っ張るような中央にも粗が放置されている。

 主に、

・物語が、一直線でないので、単純に鈍重。半分を過ぎてもアイドリングな雰囲気がただよってる。
・「音楽は素晴らしい」頼みで、音楽とはなにか、なぜ素晴らしいか掘り下げ不足、なんならテーマ設定に失敗している。
・テーマに大きく影響する、のび太の欠点に正面から向き合っていない。

 あたりが問題かと思います。

 まあ、まずストーリーがのテンポがわるい。
そこそこ前フリがしっかりとしていて、終盤に収束する構成力はあるもの、大人が感心する類のもので、子供にはそっぽ向かれるやつ。サンプル数の少ない報告だけど、私が退屈しているのと同じくらいのタイミングで、子どもの話し声が増えたように感じた。
 問題なのは、シンプルなエンタメ作品としての一本道にはなっていない。
困っている人を助けているうちに別の問題があるらしいことが判明する、という構成。
 前フリはあっても、後半敵となるのがキャラクター性にかける宇宙生物で、前半部のエネルギーをそのままぶつける対象にはなっていない。
 最初から、敵を倒すことで都市を復活させるという一本道のほうが、子ども向けにはふさわしいと思う。

 次に、音楽の設定。正直、一番疑問に思うところ。「音楽はすばらしい」という自明の理に乗っかっているだけで、それで感動を与えるためには何が必要か掘り下げている感じがしなかった。
 最初の、音楽が消えるという場面の時点で、音楽ってそんなもんじゃないだろって思って乗れなかった。もしもボックスのように、概念として音楽がないならまだしも、消えるってのは無理があるように見えた。特に、喉が痛くて子守唄が歌えないってのは無理がある。だったら全人類が風邪引いいてないとおかしいし。

 それに、これは私の信条的な部分と食い合わせが悪いだけだけども、音楽ってどうせなくならないからすばらしいんじゃあないだろうか。

ヒップホップもロックも死ぬだろう
時代も世代も移りゆくだろう
だが決してなくならない
ただ残る素晴らしい音楽は

SCOOBIE DO「やっぱ音楽は素晴らしい feat. RHYMESTER」

 音楽がなくならないでほしいなんてテーマ設定はちょっと勘所を外しているように思える。

 それはもはや、杞の国の人が天が落ちてくるのを憂いているようなもので、
 そんなことあるかねえ
 という感じ。

 お題目の部分でぼんやりした感じが、SFとしての設定とか、細かな要素でも足を引っ張っていたように思う。
 音楽エネルギーはどの塩梅で反応するのか、上手い下手はどれくらい影響するのか。
 雰囲気だけで乗り切ろうとしている感じ。
 それだけならまだしも、今回のこのテーマで、ジャイアンの歌唱力をギャグにするのはいただけない。安易にジャイアンの歌への愛をいつものギャグ扱いにするのは「音楽とは」を突き詰めずに話を作ってる証拠ではなかろうか。
 いっそのこと、しずちゃんがバイオリンのに一切関心をしめさないように、今回はなぜかジャイアンが歌の話題を出さないとかで逃げ切ったほうがましだった。むしろ愛ゆえにひどい歌声で最大の音楽エネルギーを生むとかでもよかったのに。

 そして、音楽設定の曖昧さに付随して、のび太の欠点。
 前作『理想郷』では、「ありのままで」の誤った解釈と言う感じで、のび太はそのままでいいみたいな教育的に悪い話だった。
 まあコレも私の「のび太がそのままでいいはずがない」という政治思想ゆえの感想でもあるけど。

 のび太の欠点は(ただ私自身の性格の自己分析を多分に含んでいるが)すぐに近道がある考える。目に見えた上達以外には注意を払わず、些細な前進を見逃す。できるはずないと放棄する。できない理由を課題や環境のせいにする。といったところだろう。

 今回、リコーダーが下手、一向に上達しないというのもいつもの感じ。
ただ、この映画がそこから何を描きたかったのかよくわからない。

 皆で練習する場面はあるが、ジャイアンとスネ夫はもちろん馬鹿にするだけだし、しずちゃんだって具体的なことは言ってくれない。
 そのあと一人で練習する場面があっても上達するようには思えない。

一日八時間シュートの練習はできる。でもやり方が間違っていたら、間違ったシュートがうまくなるだけだ。

── マイケル・ジョーダン

 挙句の果ては、そのハズレた音の扱い。また今回も「そのままでいい」なのか。
 そしてラストシーン。こういう類いのオチは、けっこう本気で映画を見て損した気分になってしまう。

 ここからは私の妄想話。

 リコーダーが上達しないのを、テーマの前フリにとどめておいて、冒険に出たあとでは、担当楽器を打楽器などの原初的なものにする。そこで技術のいらないプリミティブな音楽の楽しさに触れることによって、自分に音楽の素養がまったくないわけではないことを知って、リコーダーもうまくなりたいと思うようになる。そして最後は、前向きにリコーダーを練習するようになる。

みたいな

 「そのまま」と「そのままだけどベクトルが生じている」は大きく違う。原作でもいくつかそういうラストシーンはあるのでそんな感じで終わってほしかった。

 総じて言うと、題材はいいけどテーマになってない、みたいなヘンなバランス。
 オープニングの力の入り具合と音楽は良かっただけにもったいない。

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