【本いじり#0】書評なんて書けない。
とどのつまり:本を読んだアピールをしたいけれども、書くハードルは下げたいので、本いじりと呼ぶことにする。
noteでも始めるかと思ったのは、本を手放すためだ。
ミニマリストなんて高尚であらせられるものではなく、ただたんに生存圏確保のために致し方なくである。
それで、いただきものの本も手放さなくてはならぬこともある。
もらったのに放逐するのは申し訳ない。せめてちゃんと読んだアピールをしなくてはと思う。
そこで、なにかを記しておくことにした。
それでだ。
書評でも書くか。
いや無理ダナ。
グズの行動原則として、高い壁は登らないという習性がある。賢人は、高ければ高い壁のほうが、登ったとき気持ちがいいなどと強者目線で語ってくれているが、弱者には関係ない。高い壁を見上げて、そこを終の棲家としてしまう。(1)
「書評」。その本の核心の部分を伝えて、真価を判断させるような文章など書くことができようか?(2)
「感想」。これくらいなら書けそうだが、元来の性格に素直さはないので、これまた敷居が高い。(3)
私はただ、著者の心に肉薄するようなことが言いたいのではない。他の人にわからぬ魅力を周知させたいわけでもない。
西野本って余白多すぎじゃね?(4)
くらいのことが言いたいだけなのだ。
この曲がった性格を、のびのびと曲げていきたいのだ。
感想だのというのも恐れ多い。
そう、いじりたいだけなのだ。
ということで本いじりといえば、書きやすい感じがする。
だので、これからは本いじりと呼ぶことにしよう。
了
(1)高い壁:
(2)?:修辞的疑問文には回答する必要はない。
(3)敷居が高い:まるで、顔向けができず精神的枷があるかのような障壁を感じてるという援用表現。
(4)西野本:著者名を特定できる記述など何一つない。
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