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みちこちゃんの事

先日、母に電話した時に聞いたのだが、母の友達のみちこちゃんが死んだのだそうだ。
母が「これ言ったっけ?みちこちゃんが死んだんだでぇ。」と言うではないか。
みちこちゃんは病気で寝たきりだったので、それで亡くなったのかと思った私は
「えっ?病気で弱って死んだのか?」ときくと、母ちゃんは「それが風呂で死んでたんだと。溺れてたんだと。」
「えっ?自力で動けないのにひとりで風呂に?」
「いやいや、みちこちゃんが旦那に今日は長く風呂に浸かって温まるからと言うから、
ベルを持たせて上がりたくなったら呼べやと言っておいてな。旦那が全然ベルが鳴らないから行ってみたら溺れてたんだと。3月14日で死んだの68歳だったんだで。」
「はあ〜。」
「それで寂しくってしょうがない。みちこちゃんの家の前通るたび、思い出して寂しくってしょうがない。」と言う。
みちこちゃんは穏やかないい人だった。
「いい人が死ぬと寂しい。親父が死んだ時より寂しい。」と母が言う。
「私も親父が死んだ時なんか全然寂しくなかったわ。」親父というのは私の父だ。
「そうだよなぁ。親父が死んだ時はせいせいしたけどなあ。みちこちゃんが死んでから毎日寂しいや。」
昔はうちもみちこちゃんも、椎茸栽培をしていた。
みちこちゃんは動物が好きで犬とか鯉とか、孔雀とかうさぎを飼っていたのでよく見せてもらいに行った。
みちこちゃんも母も花が好きだったので花屋にもよく一緒に行った。
峠を越えて隣町まで買い物に行くのだ。
隣町の温泉が病気に効くというのでみちこちゃんは温泉に浸かり身体を労っていたのだった。
私の住む村は山奥だったので町で買い物をするのはとても嬉しい事だった。
母とみちこちゃんと喫茶店であれこれ食べたのもいい思い出だ。
席のそばに水槽がいくつもあってアロアナとかネオンテトラなどの熱帯魚が泳いでいた。ガラスのポットに砂糖やザラメ糖がスプーンを添えて置いてあった。
生姜焼きランチ、ピラフ、かき氷フラッペ、サンドイッチなどよく食べた。
おいしかった。
今はその喫茶店もなくなった。
人は思い出と寂しさと両方抱いて己を生きていく。
自分自分と他者との記憶をほの暖かいものに感じられるのは幸せではないだろうか。

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