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あなたの好き嫌いはなんですか?第7回

泉が立ち尽くしているとドタドタと立花が戻ってきた。
白い調理服を着た男を連れている。
「泉さん。遠慮しないで上がって。この人はこの家の主の捨ちゃんだよ。捨ちゃん、この泉さんそこで足捻挫しちゃったんだって」
立花が男に向かって言った。
泉は何でこんな見ず知らずの人に紹介されるハメになったんだろうと思いながら頭を下げた。
「あ、坂本泉です…。足痛いのを立花さんに助けて貰ってついて来ちゃいました…」
と男に言った。
「ああ、立花が女の人拾ったっていうから見に来てみたら…怪我したんだ…えーと泉さん?」
男がまじまじと泉を見た。
一重で切れ長のスッキリした目をしている。頭は丸坊主だ。
泉は心の中でマルコメくん…と呟いた。
「だから湿布ちょうだいよ。捨ちゃんいつも腰とかに湿布貼ってるじゃん」
立花が言った。
「ああ、まあな。どうぞ、上がって湿布足に貼ればいいよ。俺さあ、今忙しいんだよ」
男が立花に言った。
立花にさあさあ、と促されて泉は靴を脱いだ。
部屋を天井からぶら下げられた裸電球が照らしていた。
上がるとすぐ6畳の居間で壁際には年季の入った古箪笥が置かれてある。
その奥が台所らしかった。
男はドスドス台所へ戻っていった。
「そこ座って」
立花がちゃぶ台の横の座布団を指したので泉はこわごわ座った。
色の抜けた古い座布団だった。
昭和の時代にタイムスリップしたような家だ。
「この辺に湿布があるんだよ。あった」
立花は勝手に箪笥の引き出しをゴソゴソやって湿布の箱を引っ張り出した。
「あの、あの人。捨ちゃんてあだ名ですか?」
泉はさっきから気になっていたので立花に訊いた。
「ん?あいつの名前?あだ名じゃなくて本名だよ。捨吉っていうんだ。今時、いつの時代の名前だよって感じだよね」
「……何でそんな名前をつけたのだろ」
泉は不思議でしょうがなかった。
いじめじゃないか。捨吉なんて。
泉が眉間にしわを寄せていると立花が言った。
「なんでも、生まれてすぐ母親が逃げちゃったんだって。それで捨ちゃんの父親が母に捨てられた子だから捨吉ってつけたらしいよ」
「そんな…」
泉は胸が痛くなった。
生まれてすぐ母親に捨てられて、父親も投げやりな名前をつける。
なんてことだろう。ひどい親。捨ちゃん…。
「どうでもいいけど、ストッキングはいてる上から湿布貼れないね。泉さん」
立花がサラッと言うので泉は自分の足を見た。
「ああ、でも…」
「あっちの風呂場の脱衣場で脱いでくれば」
「えっ?勝手にそんな」
「大丈夫。僕の見てる前で脱ぐの嫌でしょ」
「そりゃあ…」
「いいから、足首腫れてるから早く手当てしたほうがいいよ」
「はあ」
成り行きにまかせよと泉はとりあえずストッキングを脱いでくることにした。
風呂場の脱衣場には台所を通らならければならない。
台所には捨吉がいる。
そういえば得体のしれない男が二人いる家に無防備に入りこんでしまったが、私は大丈夫なんだろうか。
漠然とした不安がむくりと湧き上がる泉だった。

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