見出し画像

キツネかたぬきか

餓鬼ちゃんが生まれ変わりの光の中に行ってしまって私はしばらく呆然として過ごした。
茂兵衛爺さんは相変わらず庭で仏像を彫っている。
今度は木から仏像を彫りだしている。
木のなんともいえない、いい香りがする。
ひのき風呂の匂いを連想する。
地獄に生えるというのに、この木の香りはどこか魂を浄化させるような清らかな匂いだ。
私は迷っていた。
やむにやまれぬ思いでもう1度母の顔を見たい一心いっしんでここにたどり着いたのに、
私は怖くなった。
母の顔を見るのが。
母の顔を見たその時、私自身の心は音を立てて壊れる気がする。
どうもそんな気がする。
私は現世の母の顔が見たいのか、来世の母の顔に会いたいのか自分でもわからなくなった。
現世の母を認める時、私は自分が何者か知る。
来世の母に出会う時、今の私は消滅する。
おそれの中、私は1日中、茂兵衛爺さんの木彫りの音を聞いていた。
「あーッだーッ!だめぇ〜!こらッしっしっシッ!」
急に茂兵衛爺さんの叫び声がしたので私は驚いて掘っ立て小屋から飛び出した。
(どうしたのだ?!)
小屋の前で仕事をしていた爺さんがここへ続く小道の方へ駆け出して行く。
私も後を追った。何か来るのか?異変?
「こらこらこらぁ〜!だめ!だめぇ!シッ!あっちへ行きなさい!」
茂兵衛爺さんは彫刻刀を振り回し、その辺の石を掴むとぶん投げた。
(えッ?何かいるのか?)
私はその小道の先に目を凝らした。
その先はしょぼい枯れ木ばかりの森なのだが木立ちの間に子供と獣のようなものが走ってくる。
走る獣が異様に大きい。
そしてすばしこい。
獣は灰色の毛並みで木々の間をシュッシュッと走り子供を追い詰めている。
「あっ!だめだったら!やめい!」
茂兵衛爺さんは今度は大きめの石を拾うと立ち止まり、精神統一をして狙いを定め、
すばしこい獣の一瞬の動きを捉え思うさま石をぶん投げた。
「ギャッ!」
茂兵衛爺さんの渾身の一撃は獣の頭に命中したらしい。
キャンキャンと奴が退散していく。
茂兵衛爺さんは子供に駆け寄ると、怯える子を抱き上げた。
私も近くに寄って見た。
その子はやはり餓鬼だった。
しかしぱっちりした目が愛らしく、それだけに痩せさらばえだ手足と膨らんだ腹部が痛々しかった。
人間にすると3歳くらいだろうか。
「おおお〜。よしよし。怖かったね〜。もう大丈夫じゃよ〜。よく来てくれたね〜。いい子いい子餓鬼ちゃん〜。」
茂兵衛爺さんは餓鬼を抱き上げると頬ずりをした。
「また新たなわしの子がやってきたよ。こんなに小さい子が危なかった。もう少しでケダモノに喰われてしまうところじゃった。間一髪わしのナイスピッチングで危機一髪じゃ。」
茂兵衛爺さんは私に向かって言った。
私はうんうんうなずいた。
「あのケダモノに喰われちゃうと犬に生まれ変わっちゃうんだよ。わんわん。もしくは犬科の動物になっちゃうの。きゃんきゃん。」
(イヌ科の動物って何だ?)と私は爺さんを見た。
「キツネとかたぬきとかコヨーテ、ヤブイヌじゃな。ウォーン。」
そうか。
そんな動物に生まれ変わってしまうのか。
人間とどっちがいいかな?
キツネやたぬきと人間と…。
もしケダモノに喰われるとしたら…。
私は深く考えこんでしまった。
隣の茂兵衛爺さんは新たな餓鬼ちゃんをあやしてひゃっひゃっと笑っている。
「わしはこの子に積み木のおもちゃでも彫ってやろうかのぅ。お姉ちゃんや。この餓鬼ちゃんは苦行ばかりじゃったから今日はお腹に優しいお粥を煮てくれんかのう。」
茂兵衛爺さんはでれでれと孫を猫可愛がりする祖父のようなにやけた顔と声で言った。
こうして茂兵衛爺さんの庭に新しい餓鬼ちゃんがやってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?